2006/12/19

サイモン・ラトル&ベルリン・フィルがサントラに参加

モーツアルトが生まれた1750年代のパリは汚く悪臭が立ち込めていました。中でも魚市場は世界で最も汚らしい場所で、そこで生まれた天才香水調合士の話が来年3/3に封切られる映画「PERFUMU」です。この映画はスコセッシやスピルバーグ等が20年間に渡りオファーをしても実現できなかったイワクツキのものです。ドイツ人のトム・ティクバ監督は音楽をサイモン・ラトル&ベルリン・フィルに依頼しました。バロックの時代設定に現代音楽が流れます。ラトルの音楽と共に、悪臭と世界で最も美しい香水の匂いを感じながらストリーは展開して行きます。乞うご期待、、、吉江一男

今年のCM音楽

現在放送されているCMの音楽は既成曲またはタイアップ曲が50%以上を占めています。95年位までは10%にも満たないくらいで、制作の現場ではエネルギーの殆どがオリジナル曲を制作するために費やされていました。がしかし、諸処の事情で使用料フリーのタイアップが平然と行なわれ、既成曲を安易にプレゼンに使い始めてから、この10年で我々の食い扶持である制作受注は半減した訳です。今年も去年に比較してオリジナル制作は減っています。タイアップは双方のメリットで行なわれているので口は挟みません。しかしプレゼン時のレコ選は真剣に考え直す時期に来ているのではないでしょうか。それによる諸処のトラブルが発生しています。でもそうなったのは我々音楽制作者の責任が大きいのです。バックアップ・イメージの確認の為に既成曲を出すのは一番簡単で、短時間で確認できるやり方ですが、プロの制作者として自分の言葉でサウンド・イメージを話せるかが問題なのです。要するに知識を持っていない人間があまりに業界に増え過ぎてしまい、クライアントからの信頼を失ったことの結果であるように思います。音楽制作者の皆様、もっともっと切磋琢磨して高いレベルの技術を身に付けましょう。私も頑張ります。吉江一男

2006/12/18

Daniel Hardingの革新

「のだめカンタービレ」のヒットとその影響でクラシックの裾野が広がったのは良かったことだと思う。主人公野田恵の音楽に向き合う革新的なところが共感を呼び、クラシックをただの古い年寄りの聴くものと敬遠してきた若年層に支持されたのでしょう。クラシックに比べて歴史の浅いポップスの進化は分かり易く、時代時代で大衆に支持されて来ました。しかし最近のポップスはどれもが画一的なのと、商業主義があまりにも見え過ぎな気がします。それに比較して、サイモン・ラトル以後のクラシック界はとてもチャレンジャブルで、音楽の可能性を広げているように思います。クラシックの場合はどの音楽家も同じ譜面を演奏する訳ですが、ラトルやアーノンクールがピリオド奏法を提唱してから、クラシックは全く変わってしまったのです。今秋催されたNHK音楽祭に出演してモーツアルトを振ったDaniel Hardingもピリオド奏法を実行する一人です。若干30才にして既に世界の代表的指揮者の仲間入りをした彼の音楽は全く別もので、今までのクラシックでは使われなかった言語である”グルーブ”が存在します。弦楽器はビブラートをつけないで演奏するので表情を出すのには右手のボーイングが要になり、言ってみればごまかしが効きません。縦の揃い方も一糸乱れず合うことを要求されます。これらは今のデジタル時代に合った考え方のようですが、実はピリオド奏法というのは、例えばモーツアルトの生きていた時代に立ち戻って、その時代はこうであったのではないかとの解釈から生まれているものです。ということは200年前の表現方法をバーチャルに再現したものが新鮮に聴こえているのでしょうか? とにかく私はこの奏法に触れてから、再び好奇心が再燃し始めました。特にハーディングに。吉江一男

2006/12/03

フィギュア・スケートの選曲

フィギュア・スケートNHK杯は浅田真央、村主章枝、中野由加里が予想通り1、2、3位を独占し終了しました。競技はもちろん興奮しますが、最終日のエキシビションは演技者がみなリラックスしていて楽しいですね。そこで選曲なのですが、荒川静香で「誰も寝てはならぬ」が国民的に有名になったことはまだ記憶に新しいですが、今夜織田信成くんはフランク・シナトラの「Fly Me To The Moon」で滑りました。この曲は世界中で多くのアーティスト達によってカバーされている名曲です。もともとは3拍子のワルツですが、カバーは殆どが4拍子で、ロック、ジャズ、ボサノバなど多岐にわたります。そんな中でこのシナトラ・バージョンはカウント・ベイシー・オーケストラをバックにしてアレンジはクインシー・ジョーンズです。こんなゴージャスで色っぽいジャズ・クラシックをバックに滑った織田くんはとても可愛く素敵でした。シナトラ・ソサエティー会員・吉江一男

山口東洋彦の「ベストCM100」CDジャケット・デザイン

11/29東芝EMIより発売された「ベストCM100」は日本のCMソングの第一号である”僕はアマチュア・カメラマン”から現在のヒットCMソングまでを、メドレーにして9バージョン収録し、それに”男と女のラブゲーム”などのメガ・ヒットからマニアックなフルサイズものを加えた2枚組のCDです。100曲のどれもがCMのために作られたオリジナルでタイアップ・ソングではありません。このCDをプロデュースするにあたり、中身はアゲアゲ!極彩色なので、それと全く相反するビジュアルでジャケットを作ろうと考えました。それも音楽や、CM業界意外の人間で独特のアイオニーが出せればと。そこで山口東洋彦という建築家にお願いしたのです。彼は日本で数年間修行した後、難関ミラノ工科大学建築科に留学、卒業後はローマにある今最も熱いマッシミリアン・フクサス建築事務所に勤務し、今春話題をさらったミラノ・コンベンションセンターhttp://www.arcoweb.com.br/tecnologia/tecnologia70.aspなどの設計に携わりました。建築家には一見気難しそうなイメージがありますが、初めて山口氏とこのようなコラボレーションをしてみて、建築家って何でも屋なんだってことが分かりました。吉江一男

2006/11/30

中島信也さんのオリコン・インタビュー

今週号のオリコンに信也さんのインタビューが載っています。内容は8/28広告の日に放送された資生堂の企業広告の音楽がテーマで、ご存知の方も多いかと思いますが、これは杉山登志さんの生涯を描いた特番の為だけに作られたCMです。90秒という最近では珍しい長尺サイズのものが2回流れた訳ですが、このわずかな放送にも拘らず、熊木杏里さんの音楽に問い合わせが殺到し、3ヶ月経って11/22にCDが発売されました。信也さんはインタビューの最後で「やはり良い音楽を流している広告っていうのは、コンテンツとしての価値が高いと本能的に感じる部分が大きいんだと思います。音楽をチープに作ったものは、コンテンツもチープに感じると思いますし。理屈や刺激ではなく、心で勝負して、気持ちが伝わるものが増えてくれば、音楽と映像で感動できるメディアとして、テレビ・コマーシャルがまた新たに機能し始めるのではないかと思います。以後省略」と語っています。最近は[テレビCM崩壊]なんていう本が出版され売れていたりで、テレビCMに対する危機が叫ばれていますが、信也さんの言うように心で勝負して良いオリジナルCMソングを作っていれば恐れることはないでしょう。信也さんとは数々の仕事でご一緒させて頂いてますが、どれもがCMのために作られたオリジナルばかりです、、、、、吉江一男

2006/11/28

My Linhのハノイ・コンサートに、、、

My- Linh(ミーリン)のコンサートを観るために先週21日からベトナム・ハノイに行って来ました。彼女は’04、’05と2年連続で最優秀アルバム賞を獲得しているベトナムの国民的歌手です。私はFriends Of Love The Earth Project(FOLTE)に参加したことで彼女を知り、先日発売されたCHAI CLASSICでも2曲参加してもらいました。今月11日にホーチミンからスタートしたシリーズは24、25のハノイでフィナーレを迎え、ハイライトは両日共にユーミンがゲスト出演したのです。FOLTE名古屋コンサートではユーミンがホステスとなり
アジアのアーティスト達を紹介したので、今回はその返礼的な両国トップ歌手の共演になりました。コンサートの模様は後日放送される予定ですので楽しみにして下さい。。。。フレンチ・コロニアルの建物がたくさん残っていて、緑溢れるハノイの街はとてもエキゾティックで、その中心にオペラハウスがあります。たまたまベトナム・シンフォニー・オーケストラのリハーサルに立ち会うことができ、ドビッシーのプレリュードを練習していたのです。きっと近い将来、1911年にできたアジアきってのオペラハウスで、彼達と音楽が作れる日が来ることだと思います。吉江一男

2006/11/22

水の楽器 "ウォーター・パーカッション"

数週間前、プレゼンテーション用の選曲をするにあたり、タン・ドゥンという中国生まれの作曲家を知りました。映画「グリーン・ディスティニー」のオリジナルサウンドトラックでアカデミー賞とグラミー賞を受賞し、世界中で注目されている作曲家です。
彼の作品には、水、風、石、紙などの自然な音をそのまま楽器として取り入れたものが多くあります。特に、水を使う楽器”ウォーター・パーカッション”を考案したことで注目を浴びました。演奏者は大きなボウルに湛えた水を、手ですくったり、かきまわしたり、叩いたりするそうです。水は波紋を描いたり、こぼれたり、弾け散ったりして音を奏でます。
2000年9月にドイツのシュトゥットガルトで世界初演され、CD化された「新マタイ受難曲-永遠の水」(タン・ドゥン作曲・指揮)を聴きました。2部(前半5曲、後半4曲)に分かれた作品で、”ウォーター・パーカッション”は前半の4曲目(「ウォーター・カデンツァ」)と後半の最後の曲(「水と復活」)でメインの楽器として使われています。「水と復活」は長さが10分あり、今までに聞いたことのない神秘的な音楽でした。”ウォーター・パーカッション”がリズムを刻むところから始まり、そこに弦楽器、混声コーラス、バス、ソプラノが加わります。そして、水を手で叩いたり、かきまわしている音が聞こえ始め、ティンパニの低音も加わり、曲が盛り上がっていきます。
水をテーマとした曲で水の音をそのまま使うのは、最も手っ取り早い表現法のように思えますが、ただ単に水を溢したり跳ねさせたりして音を出したのでは、効果音としてしか聞こえません。でもタン・ドゥンの”ウォーター・パーカッション”が奏でる音は音楽として聞こえてきます。それは水という自然界に存在する身近な物質を、他の楽器と同じように捉えて音楽を作り出す器具にしているからだと思います。
タン・ドゥンが次に来日するときには是非とも演奏会に行って、実際に”ウォーター・パーカッション”を見てみたくなりました。
Production Manager 市川祐子

2006/11/20

実は小惑星だった、、、、


今年8/28ザルツブルグ音楽祭で聴いたラトル&ベルリン・フィルの新曲は、実はラトル&ベルリン・フィルの「アド・アストラ」企画の一環として委嘱されたもので、世界初演は今年3月16日にベルリン・シンフォニー・ホールで行なわれその再演でした。ホルストの有名な組曲「惑星」が8/23にEMIより発売され、その中に収録されているではありませんか。そこにはコリン・マシューズの冥王星が新しく加わり、更に4人の現代音楽界の強者たちが小惑星をテーマにして参加しているのでした。このことが事前に分かっていたら楽しみ方が違っていたと思いますが、何の先入観なくして出会う新曲も刺激的ではありました。CDをスタジオに持ち込んでラージ・モニターで改めて聴いてみましたが、現代音楽ってほんとうに美しくて、音楽の未来の可能性が広がります。「惑星」の演奏も今まで聴こえなかった音がいっぱい聴こえて来ます。ところでラトルは2007年6月1〜3日にベルリン・シンフォニー・ホールでバレンボイムとブラームスのピアノ協奏曲2番を演奏します。私はつい先日この曲をサントリー・ホールで、アバド指揮・ルツェルン管弦楽団とポリーニによる偉大なる演奏を聴いて興奮がまだ残っているのです。この壮大な交響曲的協奏曲を今最も脂の乗り切ったバレンボイムと共演するんですよ。あー聴いてみたい。吉江

2006/11/06

ベトナムの歌姫 My-Linh

初めて投稿します。プロダクション・マネージャーとして日々の仕事を通して発見したことや感じたことを書いていきますので、よろしくお願いします!
今日は、現在発売中の「Chai Classic」で"愛の挨拶"と"別れの曲"を歌っているMy-Linh(ミー・リン)さんについて書きます。
私事ですが、ちょうど一年前に旅行でベトナムへ行きました。行く前にガイドブック等でベトナムポップスの人気歌手について調べていると、My-Linhの名前が出てきました。ベトナム滞在最終日にデパートのCD売り場に行き、店員に「My-LinhのCDで最新のものを下さい」と伝えると、My-Linhの写真に"Chat voi Mozart"というタイトル文字が書かれたジャケットのCDを渡され、それを購入しました。どんなCDなんだろうと思いながら日本に戻り、さっそく聴いてみると、クラシックの定番をポップス調にした曲をMy-Linhがベトナム語で歌っているものでした。My-Linhの美しい声に、ついつい聴き入ってしまいました。ベトナム語は全く分からないのに、すんなりと心の中に入ってくるのです。こんな歌唱力のある素晴らしい歌手を、もっともっと日本人にも知ってほしい、と思ったほどです。
そんなわけで、「Chai Classic」にMy-Linhが参加すること、そしてレコーディングのために来日することを聞いたときには、びっくりしました。実際にレコーディングを見学して、エレガントさと力強さとを掛け持つ彼女の歌声を間近で聴いて感激しました。
ベトナム旅行をきっかけにMy-Linhを知り、「Chai Classic」のレコーディングを通じて彼女と会えたことに、なんだか運命を感じてしまいました。
Production Manager 市川祐子

2006/09/21

Friends Of Love The Earth Projectに参加して。


このプロジェクトは去年の愛知万博ファイナル・コンサートにおいて、ユーミンがアジアのアーティスト達とコラボした際のユニット,
松任谷由実With Friends of Love The Earthから続くもので、去年はユーミンを含む5人でスタートし、テーマ曲『Smile again』が誕生しNHK紅白にも出場しました。今年は出演者も13組に増え、万博閉幕一週年を記念して9/17に名古屋でコンサートが行なわれました。そのコンサートの為に発表する新曲を作るにあたり、CM制作畑の私にプロデュース依頼の連絡が入ったのは5月の中旬でした。プロジェクトの主旨は、国籍や世代、キャリアを越え、ユーミンを中心にしてアジアの音楽家達がコラボレーションをしながらメッセージを発信して行くもので、参加者はそれぞれの母国語で歌います。そこで私は、限られたサイズの中で多くの言葉が入れられるラップ・コラボレーションを作ることを考えました。韓国からは、2年前に坂本龍一のアルバムに参加したことのあるMC SNIPERがOKの返事、日本からは11月にデビューをする京都出身のピッカピカの新人グループ、FAR EAST RHYMERSが、チベットからは雪蓮三姉妹がコラースを担当してくれることになったのでした。そしてサビはもちろんユーミンに歌ってもらいます。若いラッパー達がストレートに平和への願いをラップして、サビはユーミンがキュンとくる歌詞をメロディーに乗せるわけです。こんなパズルのような曲を作曲しトラックを作ってくれたのは、アメリカから参加したEAGER LUSH君とプロデューサーのKEN YOSHIEです。そして出来上がった曲が「Knockin' At The Door」です。日本から韓国、チベット、そして世界へと、まさに今年のプロジェクト・スローガンであるACROSS THE BORDERです。コンサートに来れなかったできるだけ大勢の人達にこの音楽を聴いてもらい、2010年まで続く日本発地球大交流プロジェクトを応援してください。i-Tunesより発売中。11/1にはARTIMAGE RECORDSよりCD(XNAR 30004)が発売されます。Producer, Kaz Yoshie
追記、この曲以外に2つの新曲が発表され、全てが配信されていることも付け加えておきます。

2006/09/04

サイモン・ラトルは凄い!!


〜ザルツブルグ音楽祭でベルリン・フィルを聴いて〜
今日は久し振りの投稿です。
私は8/19〜30までの間にヴェローナ野外劇場、メラーノ音楽祭、そしてザルツブルグ音楽祭とクラシック三昧の日々を送って来ました。今年はモーツアルト生誕250周年にあたるので、ザルツブルグが主の目的であったのは言うまでもありません。7月23日からスタートして8/30までの間、日に依っては朝11時、午後3時、夜と3公演があり、毎日モーツアルトが演奏されています。私も駆け足でレクイエム、イドメネオ、ドン・ジョバンニ、シンフォニ−#39#40#41等を聴いてモーツアルトを十分に堪能したわけですが、8/29と30日の2公演だけの為に来ていたラトル&ベルリン・フィルの29日公演に行ってびっくり仰天です。それはドビッシーのDrei Preludesを除いて、全曲21世紀に作られた現代音楽のプログラムで、世界中のいい感じのモーツアルト・ファンが集っているこの場で大胆不敵というかお見事です。曲目は相当なマニュアでも知らないのは当たり前で、せいぜい作曲家名は知っていても聴いた事のない曲ばかりでしょう、少なくても日本では。そんな新曲を70才になろう紳士淑女が眼を輝かせて楽しんでいるではありませんか。16型4管編成の大オーケストラの演奏が始まると、それは正にへんてこりんな現代音楽なのですが、私が今までに聴いた数少ない現代音楽コンサートの中で最も美しく、こんなに感動したことはありませんでした。変則極まりない拍子、奏法に拘らず全員がピッタリ合ちゃっていて魔法のようでした。最後にドビッシーを持って来るところはラトルの真骨頂で、100年前に書かれた曲のなんとみずみずしいこと。全てが現代に繋がっていることを分からせてくれました。こんなコンサートが実現できるのは、演奏家の音楽への真摯な態度、プロとしての確か過ぎる技術は勿論ですが、やはりラトルが偉くなっていないことと、新しい才能を発掘し文化の継承を大事に考えているからでしょう。ベルリン・フィルの芸術監督の地位なんて簡単なことではないので、偉くなっちゃっても仕方ないのに。私なんかそこにたまたまいただけで偉くなっちゃいますから。最後にプログラムを書いておきます。吉江一男
Kaija Saariaho[*1952] Asteroid 4179:Toutatis (2005) for Orchestra
Brett Dean[*1961] Neues Werk (2006)
Matthias Pintscher[*1971] Towards Osiris (2006) Orchesterskizzen
Mark-Anthony Turnage[*1960] Ceres(2006)
Henri Dutilleux[*1916] Correspondances(2003) for Soprano & Orchestra
Hanspeter Kyburz[*1960] Noesis(2001/03)
Claude Debussy[1862-1918] Drei Preludes in der Orchesterfassung von Colin Matthews

2006/06/29

CM NETWORKのカタログが充実しました。




CM NETWORKとは読んで字のごとし広告のネットワークです。広告音楽好きな人間ばかりが集まって1988年に結成されました。TM NETWORKを意識したりしてパロディーでなんか作ったものでは決してありません。本当にCM音楽が三度の飯より好きなんです。でも、何故か偶然にも、リーダーが長野県生まれの小諸鉄矢というハッピーな名前だったのです。それにリードを歌うことが多かった作曲家が偶然にも、前橋隆史というよく有りがちな名前でした。更に超絶ギターを弾けたのが、これも何故か偶然に臼直人ですから、よくもまあこんなに重なったものだとメンバー全員が嬉しくなっちゃった訳です。分かりますよね? コマソンは新鮮なフルーツをギューッと絞り出したジュースみたいで、喉と心の渇きを潤してくれます。制作者は、寿司カウンターのお客から”今日一番美味いのを握ってチョーダイ”って言われて、その日の極上ネタで握る板さんのような感覚に似ています。そんなCM大好き人間が毎回スタジオで渾身の気持ちを込めて録音したCMソングがi-Tunes Music Storeから配信されるんですから、皆様に聴いてもらえると嬉しいです。メンバー一同

2006/06/28

chai dance! 本日発売


2003年にchaiが発売されてから3年が経ちますが, 単一商品のCMソングを集めた特異なコンピレーションCDとしてこのシリーズは定着したようです。そこにはサントリーウーロン茶CMの人気の高さがうかがえます。今回のchai danceは、今年4月に放送されたi-Pod nanoプレゼント・キャンペーンに使用された西遊妹妹の「ペッパー警部」をはじめ、過去のCMの中で人気の高かった曲を中心に、80年代のダンス・ヒット曲を加えて、トランス,ハウス,ダンスホール等にミックスして出来上がりました。「ハロー!ミスター・モンキー」や「ロコモーション」等、今ブレーク中のカスケーダのようなハード・トランスなんかもあるんですけど、中国女性がやわらか〜い中国語で歌っているからでしょうか、、、どれもなごみ系ダンスになっちゃいました。「鉄腕アトム」はレゲトン・ダンス・ホールにしてほんとに可愛くなったと思います。これで癒し系のダンス・ミュージックという独特な領域ができるといいんですけどね、、、、吉江一男

西遊妹妹 - Chai Dance! - ペッパー警部(Pepper警長)i-Tunes Music Store
で配信中。

2006/06/13

〜輝ける80年代CMシリーズ〜 アサヒ・スーパードライ(A.S.D)・シリーズ



今は日本を代表するビールになったA.S.Dは‘87年発売当初は関東地方限定の商品でした。その当時のアサヒのシェアーは10パーセント足らずで業界3位でしたが、博報堂の萩原高CDからは、行く行くは全国発売にこぎ着けアサヒの代表的な商品にしたいと熱のこもったオリエンテーションがあり、CMの映像は辛口作家の落合信彦氏を起用して作られました。萩原さんは博報堂では燃える制作者として名物だったので、他の仕事が手につかなくなる位に時間が拘束され(ギャラはちゃんとくれて面白いので問題なしですが)、特にこの仕事には沢山の時間とエネルギーが費やされました。萩原さんからの音楽の注文は“辛口な音”を作れでした。萩原さんの思う辛口な音とは、憂いのあるメロディーをしゃがれた声の男が歌い、都会的なサックスが絡むというものでした。それだけイメージが明確になっていると、こちらとしては作り易い訳です。そこでロス・アンゼルスに飛びNORMAN SALEETという作家に作ってもらい、CHARIS FARRENの歌に名前は忘れましたがサックスも入れて2曲を完成させました。編集時に”Special Woman”という曲に決まり発売第一号のCM・SONGが完成です。この当時はフルサイズの曲を2曲制作して1曲に絞っていた訳ですが、そのコストを考えると今では不可能なやり方ですね。A.S.Dは幸運な事に発売と同時に話題になり半年後に全国発売になりました。落合さんのシリーズも3年続き、音楽はJOHN WARREN, DAVID HALIDAYと繋がり,なかでもMARK DAVISが作りJOHN WARRENの歌った“Take Me Back”はオリコン洋楽第1位に輝いたのでした。MARK DAVISはこの後もオリコン洋楽第1位になるヒット曲を作り続け、A.S.Dの売れ行きも絶好調でCMも大量に放送され、日本国中が活気に満ち溢れていました。吉江一男

John Warren - CM TRACKS~よみがえる黄金時代~洋楽編 3 - Take Me Back
貴重なこれらの音源”Special Woman”“Take Me Back”“Private Motion”はi-Tunes Music Storeで購入できます。

2006/05/31

〜輝ける80年代CMシリーズ〜 Boy George(4) 完成そして、、、




さてどうしようか?途中で帰っちゃったのには困りました。マネージャーとスタジオに戻るように交渉して2日が経ちました。ある程度ボーイの好きなように歌うことでOKをとったのでした。取合えず戻ってくれればこっちのものなので、気分を害さないように努めながら、
なんとか歌入れは終わりました。まだ撮影が残っていたのでスタッフはさぞかし胸を撫で下ろしたことと思います。こんなハプニングがあったのでミックスは日本でやることにして帰国し、馬飼野曲は内沼英二さんのミックスでブライトで派手な音が、細野曲は寺田さんのシャープでカッコイイ音が出来上がりました。映像の編集も終わりいよいよCMの完成です。MAルームで完成品を見た時は、これはヤバイと思いました。放送されると凄い反響で、この仕事をやってて本当に良かったと満足感で一杯になりました。しかし、このCMは間もなくボーイ・ジョージの事情により放送が打ち切られ、代役が後を努めることになります。音楽も同じオケを使いながら、ボーイの歌がロス・アンゼルス在住のシンガー・キップ・レノンに変わりました。キップはロスでは有名なレノン・シスターズの末っ子で、50人以上の物真似ができる、売れっ子のスタジオ・シンガーでした。ハプニング続きの忘れられない仕事のひとつです。終わり,吉江一男

KIPP LENNON - CM TRACKS~よみがえる黄金時代~洋楽編 3 - あなたのとりこキップの歌う2曲「あなたのとりこ」(馬飼野康二作)「恋のファイアー・ボーイ」(細野晴臣作)はi-Tunes Music Storeで購入できます。

〜輝ける80年代CMシリーズ〜 Boy George(3) ボーイが帰っちゃった!

田町にあったアルファ・レコードのスタジオに細野さん、近田春夫、クリスが集まり、いよいよ細野さんのバック・トラックにクリスの仮歌を録音します。このスタジオではYMOをはじめ、ユーミン、吉田美奈子、ハイファイセット、ブレッド&バターなど錚々たるアーテイスト達がレコーディングしていました。細野さんはスタジオでは落ち着いていて、トップ・アーティストとしての風格がありました。近田は普段の録音と少し違い緊張気味です。クリスのクイーンズ・イグリッシュなまりの仮歌は上手くはないのですが、メロディーが分かればいい程度なので簡単に終わりました。馬飼野さんのデモは彼のハウス・スタジオで行なわれ、これもクリスと近田がそれぞれ英語詞と日本語詞を歌ってくれました。いよいよこの2曲を持ってロス・アンゼルスで録音です、、、、、、、、ボーイ・ジョージにはロスで初めて曲を聴いてもらうので、どうなっちゃうのか心配で胃が痛む思いをしていました。ベル・エアー・ホテルにスタッフ全員が集まり、ボーイを交えて最終絵コンテと音楽の打ち合わせが始まり、彼はとても協力的で全てがスムーズに運び、何日か後に録音するので曲を覚えて来てくれるように頼みました。録音はマイケル・ジャクソンなどが使用していたウエストレイク・スタジオで行なわれ、ボーイは細野さんの曲は完璧に覚えてあったので問題なく終わったのですが、馬飼野さんの曲になると全く違うメロディーで歌い始めるので、ディレクションするのにかなり困ったのでした。外国人との仕事では過去にも同じような経験はあるので慌てはしなかったのですが、私が細かく直しを入れるので、ボーイは気分を悪くして途中で帰ってしまいました。さあ大変です。つづく、吉江一男

〜輝ける80年代CMシリーズ〜クィンシー・ジョーンズ(4)「Back On the Block」


レコーディング終了の翌日、クィンシーから連絡が入りました。「グレート(素晴らしい)!」やったー!心の中で叫んでしまいました。そして素晴らしいアレンジをしてくれたジェリーをはじめ、アーティストやスタッフのみんなに心から感謝しました。
「でもひとつだけ気になるのはスネアドラムがほんの少し大きすぎる・・・」とのお言葉です。たしかに僕も気になっていたところです。今と違いやり直すのはたいへんです。「でも直すほどのことでもないよ、大丈夫。」ほっとしました・・・。
CMの撮影も完了し素晴らしい出来上がりになりました。数ヵ月後のことでした。クィンシーのニューアルバム「バック・オン・ザ・ブロック」がリリースになりました。盟友レイ・チャールズをはじめとした豪華なアーティストの競演によるすごいラインアップです。
なんとその中に今回の曲「トゥモロー」が収録されています。きっとクィンシーのすごいプロデュース&アレンジになっているのだろうと思いながら12曲目をプレイしました。イントロが流れます・・・えっ!!CMのアレンジとまったく一緒です。クレジットを見るとジェリー・ヘイをはじめとして同じミュージシャンです。たいへんだったヴォーカルのパートになると聴いたことのない素晴らしい歌声です。テビン・キャンベル、あとで天才的な逸材ということが分かります。うれしいやら、信じられないやらさらに素晴らしいディテールとなった「トゥモロー」を何度も何度も聴きなおしました。
終わり、渡辺秀文

2006/05/29

〜イタリア語のCMソングがオリコン洋楽1位に〜


1990年初夏、ライオンのプレーン&リッチというシャンプーのCMがスタートしました。出演は当時人気絶頂にあった浅野温子さんです。クリエーティブ・ディレクター・魚住勉、アート・ディレクター・井上嗣也、演出・結城臣雄という錚々たるスタッフで制作されるCMは、全編シシリー島で1ヶ月間撮影が行われ、名画「島の女」に登場するソフィア・ローレン扮するフェドラをイメージし、野性的で自由奔放な浅野温子の魅力を引き出すことが企画の骨子です。 私事になりますが、「島の女」は忘れられない映画の一つで、真っ青なエーゲ海に海女の役で潜るソフィア・ローレンのみずみずしい魅力に目が釘付けになり、胸が熱くなったのを鮮明に覚えています。それにジュリー・ロンドンが吹き替えで歌った「イルカに乗った少年」の切なく美しいメロディーが強烈で、映画館から帰るなり必死に思い出しながらピアノで弾いて音節を確かめたりしました。そんな素晴しい企画のCM音楽を任されたのですから、張り切らないわけがありません。この際思い切って全編イタリア語の新曲を作ってみようとチャレンジ精神がかき立てられ早速制作に入りました。作曲は私が全幅の信頼を置いていたMARK DAVISで、一緒の仕事で既にオリコン洋楽1位を何曲か獲得していました。彼は今回も期待通りにいい曲を書いてくれて、クライアントもとても気に入ってくれ、イタリア語の歌詞をつけ、MARKの素晴しいバック・トラックを持って、ついにミラノでの録音です。ミラノでは色々ありましたが、10人ばかりオーディションをしてEMI CALINAというミラノ女性に決めて歌ってもらい、後は東京でミックスをして映像に合わせるだけです。シシリー島の撮影が終わり、ミラノで合流した郡家淳プロデューサーと一緒に帰路につきました。
オール・ラッシュを見ると映像はどれもが美しく、浅野の魅力で満ち溢れていました。音楽を付けてみると皆無口になっちゃって、特に魚住さんの目が潤んでいたのを覚えています。完成したCMは放送と同時に話題になり、6月21日発売のCDはオリコン洋楽1位になりました。イタリア語のシングルが1位になるのはなんと20年振りだったのです。イタリアの映画音楽は日本人好みのセンチメンタルな曲が多く、私も青春時代にいっぱい聴きました。そんなイタリア映画への恩返しができたようです。吉江一男
この美しい曲は6/28発売の人気シリーズ“chai”第3弾”chai dance”に中国語バージョンで収録されます。
EMI CALINA - CM TRACKS~よみがえる黄金時代~洋楽編 2 - 彼女 (Mario)
オリジナル音源はi-Tunes Music Storeで購入できます。

2006/05/28

〜輝ける80年代CMシリーズ〜 Boy George(2)





二人からデモ・テープが上がって来ました。細野さんにはダンス曲を頼んであったんですが、予想した通りに普通じゃない物ができてきました。メロを自らラララで歌ってるんですが、それが1オクターブ低いのでなんか暗くはっきりしなくて、何回も聴かないとイメージが掴めず、正直なところかなり不安になりました。それにテクノ系ダンスは縦乗りなのでシンコペーションをあまり使わないんですが、最初から最後までシンコペだらけ。流石!ですよね。結局私の出したこの曲の結論は゛キッチュさが最高dayone゛でした。そうそう映像の説明をもう少しした方がいいですね。映像はボーイ・ジョージ版西遊記でボーイが三蔵法師に扮し、孫悟空、猪八戒,沙悟浄はリック・ベイカーの特殊メイクによって作られました。ボーイの三蔵法師は彼のモノ・セクシャルな魅力が加わり妖艶で美しく、これ以上ピッタリの役はないだろうと思いました。そんな三蔵法師の前で孫悟空達が踊りや歌に興じるオアシスでの酒席の模様に細野さんの音楽がつきます。映像はド派手でキッチュに上がって来るのが想像できたので、細野さんの持っているスラップ・ミュージック的な部分とキッチュさが絶対に合うことは確信していました。さてクリスと作詞の打ち合わせです。ボーイと同じイギリス人アーティスト同士なので、私が細かいことを言うより先ず作ってもらうことにしました。クリスはとてもアーティスティックでスノッブな人間でしたが、CMを頼んだ時はアーティスティックな部分を残しながら分かり易いものを書いてくれました。馬飼野さんからもいい曲が上がって来て、後はクリスの歌詞が付き次第、クライアントとボーイに聴いてもらう為のデモ・テープの録音です。つづく、、、、吉江一男

2006/05/26

〜輝ける80年代CMシリーズ〜 Boy Georgeをタカラ・缶チューハイに

84,85年の2年間でジョン・トラボルタ出演のCMが終わり、86年は年明けそうそうに凄いプロジェクトが来ました。それはカーマ・カメレオンの大ヒットで世界的スターになったボーイ・ジョージを起用しての新シリーズで、商品はタカラ焼酎”純”と”缶チューハイ”の二つがあり、両方にボーイ・ジョージが出演し、それぞれにオリジナル・ソングを制作するというものでした。企画打ち合わせに参加してみて、そのスケールの大きさに驚いたものでした。多分制作費的にCM史上最大だったと思います。ロス・アンゼルスから2時間位フリーウェイを飛ばした砂漠でロケをし、その当時最高のあらゆるCG技術を駆使し合成された映像は、私達の度肝を抜きました。演出は、JR東海・クリスマス・エキスプレスなどで知られる早川和良さんです。特殊メイクは”猿の惑星”で有名なメイクアップ・アーティストのリック・ベイカーが担当しました。さて音楽を誰に作ってもらうかですが、クライアントからはオリエンタルなサウンドが欲しいとの要望があったので、日本人作家から選ぶことにし、”純”はヒット・メイカーの馬飼野康二に、そして”缶チューハイ”は細野晴臣に、英語歌詞をイギリス人アーティストのクリス・モスデルに、”純”は日英歌詞のミックスにしたく日本語詞を近田春夫にそれぞれ頼むことにしました。
さあ、こんな豪華なメンバーでどんな物が上がって来るのか楽しみです!つづく、、、、吉江一男

2006/05/25

〜輝ける80年代CMシリーズ〜クィンシー・ジョーンズ(3)「アンドレ・クラウチ(ゴスペルの巨星)」


ロサンゼルスでの録音は、素晴らしいミュージシャンたちによって順調にスタートしました。ジョン・ロビンソンとニール・ステューベンハウスのリズム隊のステディだけど温かみにあふれたプレーには本当に感動しました。
その後にちょっとした難関が待ち受けていました。CMの企画の中で小学生くらいの黒人の男の子がこの曲にあわせて歌をうたうことになっていました。もともと歌詞のない曲ですのでまず知り合いの作詞家に英語詞を発注、そして歌う男の子のオーディションです。クィンシーの紹介で現れたのがなんとアンドレ・クラウチ!!
http://www.jaspella.com/music/artists/crouch_andrae/j-index.html
もともとはおもに教会だけで歌われていたゴスペル(神の御言葉という意味)をポピュラー音楽として定着させた立役者であり自らのクアイアー(聖歌隊)も有名です。いまでこそ日本でも人気のゴスペルですが、彼がいなければいまだに教会の中だけで歌われていたかもしれません。アンドレは素晴らしいナイスガイでとても親切に10人近い候補の男の子を連れてきてくれて一緒に手伝ってくれました。名前は忘れましたが8歳くらいのきれいな声を持った子をセレクトしとてもチャーミングなヴォーカル録音ができました。徹夜をふくむ3日間で無事に録音は終わりました。自分としては精一杯やりました。
さて、クィンシーははたして曲を気に入ってくれるでしょうか。入試の結果を待つような久しぶりの緊張です。つづく、渡辺秀文

2006/05/24

〜輝ける80年代CMシリーズ〜 ‘87年 With ANITA O'DAY

(私の一番気に入っているアルバムです)

(Robin Loggie & Anita at Capitol Recording Studio)


今回は、前回のメル・トーメに続き、白人女性ジャズ・ボーカルの最高峰アニタ・オデイとの仕事の話です。ANAは国際線の就航を一気に加速させている時期で、新路線就航の度に大量のCMを放送していて、今回はビジネス・クラスのサービス・アップ・キャンペーンのCMです。今までよりシートが大幅に広くなり、忙しい仕事に追われているビジネスマンが、海外出張の際にゆったりとしたフライトが楽しめるようにとの思いが込められていました。ワンランク上の大人の為のCMと来れば “やはりジャズだよね、”ということで、何とアニタ・オデイ(http://music.goo.ne.jp/artist/ARTLISD19000/)を起用し、これもCMの気分を伝えてくれるオリジナル・ソングを制作することになりました。作家は前回の仕事で息の合ったところを見せてくれたアーサー・ハミルトンとジョー・ハーネルのコンビです。ジョーの弾き語りのデモも上がり、クライアントに聴いてもらったところ気に入ってくれたので、ロス・アンゼルスで本番です。
キャピトル・レコーディング・スタジオに現れたアニタは気さくで、声も大きく明る過ぎてビックリさせられ、レコードで聴いていたあの深い渋みのある歌からは想像できませんでした。全員が彼女のオーラに吸い込まれるように、お互いをレスペクトしながらハッピーな雰囲気の中でレコーディングは終了しました。これで雲の上の存在だったメル・トーメとアニタ・オデイという二人の偉大なるアーティスト達と一緒に音楽を作ることができて、CM音楽制作の醍醐味と面白さを実感し、ますますエネルギーが湧いて来たのでした。吉江一男
Anita Oday - CMよみがえるCM黄金時代 ~洋楽編1~ - Easy Life“Easy Life”と題されたこの希少なオリジナル音源はi-Tunes Music Storeで購入できます。

〜輝ける80年代CMシリーズ〜 ‘88年メル・トーメ


(From the left、Yoshie, Mr. Mel Torme, Arther Hamilton , Joe Harnell , Mel's manager at Capitol Recording Studio)

今回は、私がまだ高校生でジャズにとり憑かれ初めていた頃、最も好きだったシンガーの一人であったメル・トーメと仕事をした時の話です。今回の音楽は、東京ガスのシティ・エアコン・TOKIOのCM用に、都会的で洗練されたジャズを作って欲しいというクライアントからのオーダーにより制作されました。できればCITYを歌詞の中に入れて歌って欲しいとの具体的な要望を受け、作家と歌手の候補選びが始まり、その当時でまだ現役のジャズ・ボーカリストが何人か上がった中で、メル・トーメに白羽の矢が立ったのでした。メル・トーメは“ベルベットの霧”などと言われ、スキャットのアドリブを交えながら歌う独特のスタイルで、ジャズ・ボーカル史上に輝かしい足跡を残した偉大なるシンガーです。
http://oops-music.com/info/view.html?oid=3890
歌ってくれることを願いながら、ロス・アンゼルスのロビン(ビルボード・マガジン、ワーナー・エレクトラ・アサイラムを経て85年より弊社の現地スタッフとして勤務)に連絡をとってもらったところOKの返事が来ました。凄い!メル・トーメが歌ってくれる。楽曲を誰に作ってもらおうか? そこでJOE HARNELLとARTHER HAMILTONのコンビに依頼しました。JOE HARNELLはピアニストとして18枚のアルバムをリリースし、“Fly Me To The Moon”でグラミーを受賞し、ペギー・リーの代表曲“フィーバー”のアレンジもしています。ARTHER HAMILTONは、アメリカン・スタンダード史に燦然と輝くあの名曲“Cry Me A River”の作詞・作曲家です。私はペギー・リーのバージョンが秀逸だと思います。二人ともペギー・リーを通じて長い間親交がありました。そんな二人が日本のCMの為にオリジナル・ソングを書いてくれて、メル・トーメが歌うんですよ。夢のような話です。10日後位にJOEが自宅で弾き語りで録音したデモ・テープが届き、楽曲の美しさに目頭が熱くなったのを覚えています。ロスでのレコーディングは勿論キャピトル・レコーディング・スタジオで、ピアノ・トリオにジェリー・ヘイのトランペット・ソロを加えた編成で行われました。メルはスタジオに来ていたARTHER HAMILTONに会うと「あなたが、あの美しい曲Cry Me A Riverの作家だったんだね。会えて本当に嬉しい。今回の曲も素晴しいよ。じゃ歌おうか、、、」と言ってマイクに向かうと、スイートでシャギーなベルベット・ヴォイスをもったいない位十分に聴かせてくれて、最高のトラックが出来上がり、CMも無事に放送されたのでした。なおメル・トーメは1999年6月5日ロス・アンゼルスで74年の生涯を終えました。吉江一男
Anita Oday - CMよみがえるCM黄金時代 ~洋楽編1~ - Easy Lifeこの希少なオリジナル音源“The City”はi-Tunes Music Storeで購入できます。

2006/05/19

〜輝ける80年代CMシリーズ〜クィンシー・ジョーンズ(2)「アレンジャーにジェリー・ヘイを起用」


さて、期待と不安の入り混じった大きなプロジェクトがついに動き出しました。CMの内容は、アメリカの音楽を志す若者や、子供たちとクィンシー・ジョーンズとのふれあいを描いたヒューマンタッチの数本のシリーズです。撮影およびレコーディングは、ロサンゼルスで行われることになりました。今回の成功の鍵をにぎるのは、なんといってもアレンジャーです。僕やクライアントからのさまざまなリクエストに対して、さらに天下のクィンシー・ジョーンズが納得するようなクオリティでしっかりと表現してくれる実力のある人を探しました。そして、僕が大学のときに愛聴していたハワイのフュージョンバンド「シー・ウィンド」のリーダー、トランペッターのジェリー・ヘイに依頼しました。ジェリーは当時すでにアメリカではたいへんな売れっ子アレンジャー、トランペッターとしてクィンシーが手がけたマイケル・ジャクソンのアルバムや日本では松任谷由実のアルバムにおいてもホーンアレンジをやっていました。オファーしたところ快諾してくれ、僕の希望するアレンジの方向を理解してくれました。すぐにベーシック・トラック(いわゆるカラオケ)をつくるミュージシャンのリストが送られてきました。すごいメンバーで驚きました。ドラムスにジョン・ロビンソン、ベースにニール・ステューベンハウス、シンセサイザーにランディー・カーバー、そしてコーラス隊には、超有名なアンドレ・クローチ・シンガーズといった、当時の僕にとって夢のような布陣となりました。いままではリスナーの一人だった僕が、録音の中心になると思うと武者ぶるいがしました。さて、いざロサンゼルスへ・・・・渡辺秀文

2006/05/16

〜輝ける80年代CMシリーズ〜クィンシー・ジョーンズ(1)「不安いっぱいな大きな仕事」


1989年のちょうど今頃でした。20代も後半になってやっと仕事に充実感を感じられるようになって来た自分に、とても大きな仕事が舞い込んできました。プロジェクトは「日立製作所」のA&V(オーディオ&ビジュアル)キャンペーンです。出演は、クィンシー・ジョーンズ。泣く子も黙る音楽界の大プロデューサーです。
http://musicfinder.yahoo.co.jp/shop?d=p&cf=12&id=60533
ちなみにわが国の大作曲家である久石譲氏はそのペンネームを久石(クインシー)譲(ジョーンズ)からつけたそうです。
普通は、彼くらいの大物であれば、CMの音楽も当然自分のスタッフでつくるはず。ところが、そのときちょうど自分の集大成のアルバムを制作中で「だれか、日本人の音楽制作プロデューサーを立てて欲しい」という要請があり、僕のところに仕事が来たわけです。それも、クィンシーが過去にプロデュースした、ブラザース・ジョンソンの美しいインストゥルメンタル「TOMORROW」をカヴァーして欲しいということでした。大きな仕事をいただけたうれしさ以上に、本当にこの仕事をやり遂げることができるかという不安でいっぱいになりました。なぜなら、僕が企画してプロデュースした「TOMORROW」をクィンシーに気に入ってもらわなければならないからです。正直な話、当時の僕の実力では、とてもそんなだいそれたことができると思えませんでした。でも、先輩のプロデューサーを差し置いて僕に仕事を出してくださったスタッフの皆さんの期待に対して「よしっ!何とかやってみよう!」と決意を固めました。つづく、、、、
プロデューサー・渡辺秀文

2006/05/13

〜輝ける80年代CMシリーズ〜初めてのオリコン1位


1984年タカラ・缶チューハイのCMがスタートしました。出演は当時「サタデーナイト・フィーバー」の世界的ヒットで大スターになっていたジョン・トラボルタです。ジョンはCMでも映画と同じように当然踊りで決める訳ですが、
その大スターが踊るためのCM音楽を、一介の日本人である私がプロデュースするんですから、まあ大胆不敵というか、何と言うか、凄い話ですよね。そこで色々考えた末に、「サタデーナイト・フィーバー」と同じようなことをしても適わないので、独特なものにしようと思い、80年初頭リンダ・ロンシュタッドのアルバム「MAD LAVE」の殆どの曲を書き、ロス・アンゼルスを拠点にクリトーンズというオルタナティブなグループで活動していた、マーク・ゴールデンバーグに頼むことにしました。マークは丁度3ピースのアワー・タウンという新しいバンドを立ち上げたばかりでした。マークの書いてくれた”Waiting For The Green Light(恋のグリーンライト)”は、トラボルタの“船漕ぎダンス”とでも呼びたくなるような、ちょっと滑稽な踊りにマッチして、CM放送と当時に話題になり、オリコン洋楽・シングル1位になったのでした。私がプロデュースして1位になった最初の曲です。マークはその後、サントリー・ロイヤルのランボー・シリーズ等、日本でもCMで素晴しい仕事をいっぱいしています。
この曲も近いうちにアルバムに収録予定です。吉江一男

2006/05/11

〜輝ける80年代CMシリーズ〜JOHN LIND


ジョン・リンドって知ってますか? きっとこう言えば分かるかな? あのアース・ウィンド&ファイアーの“BOOGIE WONDERLAND”や、マドンナの“CRAZY FOR YOU”の作家です。1985年DJ In My Lifeのヒットの直後に、同じHONDAのバイク・TACTの制作依頼がきました。私は“CRAZY FOR YOU”という曲が大好きだったので、その曲を作った作家と仕事ができたらいいなと思い、ロス・アンゼルスに連絡したら即OKの返事です。レコーディングはサンタモニカのスタジオで行われ、私も良く知っているマーク・ゴールデンバーグをはじめ、ロスの精鋭達が集まって、全部生で録音されました。残念なことにこのシングルはヒットしませんでしたが、私のたっての頼みであった、“CRAZY FOR YOU”がジョン・リンドのセルフ・カバーでカップリング収録されています。貴重なこのバージョンはi-Tunes Music Storeで購入できます。
吉江一男

2006/05/07

〜輝ける80年代CMシリーズ〜DJ IN MY LIFE


85年「Overnight Success」のヒットから間もなく、Hondaの新50ccバイクDJ-1の制作依頼が来ました。ホンダの商品には“ゴリラ”や“モンキー”など面白くユニークなネーミングが付いていて、このDJ-1も、ウオークマンを聴くみたいに気軽にどこででも楽しんでもらいたいということなのでしょう。CMの映像では黒人のDJがおかしなカンフー・ダンスを踊りながら、ノリノリでプレイしていて、そこに商品名のDJを歌い込んだ英語のオリジナル・ソングを乗せることになります。商品名が音楽に関連したものだけに、作られる歌はCMソングとしての役割を当然果たしながらも、それ自体に独立性があり、CMソングの枠を超えてヒットする可能性を持っていることが大事だと考えました。そこで"愛しいDJさま、私の悲しい心を慰めてくれる曲をかけて下さい“と、失恋した女の子の気持ちをセンチメンタルなメロディーに乗せて歌えば、グッと来るんじゃないかと思い、大ヒット曲「OVERNIGHT SUCCESS」のコンビ、ジョーイ・カルボーンとリッチー・ズィトーに頼むことになりました。特にジョーイはイタリア系らしいセンチメンタルなメロディーが得意でした。彼に出したリクエストは、サビの出だしはDJから始まり、♩DJ〜〜♩を繰り返すことでジングルとしての形態になっていて、なおかつヒットの要素を含むものでした。ジングルとは繰り返すという意味で、通常アメリカではCMソングをそう呼びます。商品名を繰り返し歌うわけですから、押し売り的に受け取られることがあるのは否めませんが、今回は作り方次第でそうでなくなる訳です。そこがパズル解きみたいで楽しいんですね。期待通りのデモが2曲上がり、我々はユーロ・ポップ的なマイナーのメロディーを選びました。トラック・メイキングの中心はリッチーで、特に彼のギターが入った途端にサウンドはパワフルになります。そしてマニアックな話になりますが、バック・コーラスはBETH ANDERSENで、あのヒット曲「NEVER ENDING STORY」をリマールとデュエットしているスエーデン出身の美人歌手です。また丁度同じ頃ラジオでは、ダイアナ・ロスにリッチーが書いた「TOUCH BY TOUCH」という曲が頻繁に流れていました。そんな一流ミュージシャン達の力で、新人歌手ANNIEが歌う「DJ IN MY LIFE」が出来上がりました。そして放送が始まりシングル・レコードが発売されて、見事オリコン洋楽1位になり、85年の年間洋楽チャートでも10位になりました。リッチーはそれ以後、エディー・マネーとチープ・トリックをプロデュースし、それぞれビルボード第一位を獲得し、ジョーイも数々の日本人アーティストをプロデュースし成功しています。世界の音楽家達が日本のCMの為に集まり、国境を越えた瞬間です。Music is the most beautiful in our life ! (プロデューサー・吉江一男)
Annie - CM TRACKS~よみがえる黄金時代~洋楽編 2 - DJ In My Life
お聴きになりたい方は i-Tunes Music Storeで購入できます。

2006/05/05

〜輝ける80年代CMシリーズ〜「OVERNIGHT SUCCESS」


1984年にソニー・カセット・テープのCMから誕生したのが、その為に作られたオリジナル曲の「OVERNIGHT SUCCESS」です。OVERNIGHT SUCCESSとは、例えばブロードウェイでは、ミュージカルが初演を迎えた時、翌日の新聞に載る論評次第で成功の是非が決まるという厳しい裁きがあり、もし好評だったらその公演は成功を保証されるので、そんな初演翌日の成功に対して言います。
このCMは仲畑貴志さんが企画し、結城臣雄さんが演出したものですが、映像はブロードウェイのステージで複数の男女が成功を夢見てダンスのリハーサルの真最中です。ブロードウェイ・ミュージカルと言えば「コーラス・ライン」が大ヒットしている頃でしたが、音楽はそれよりポップ・ロックな方向で行こうということになり、映画「フラッシュ・ダンス」のテーマ曲「WHAT A FEELING」(歌:アイリーン・キャラ)を作ったスタッフに頼むことになりました。この曲はユーロ・ディスコの達人であるジョルジオ・モローダーの作曲ですが、サウンド・メイカーはリッチー・ズィトーとアーサー・バーロウです。リッチーはジョルジオ・モローダーを手伝う前にはエルトン・ジョン・バンドにいました。そのリッチーと同じニューヨーク・ブルックリン生まれで幼なじみのジョーイ・カルボーンが、リッチーと二人で作家&プロデューサー・チームを組んでいたので、彼達に白羽の矢が立ったという訳です。発注から10日程で2曲のデモ・テープが出来上がり、それを1曲に絞り、ロス・アンゼルスでいよいよ本番の録音です。オケはあっという間に最高のものができたのですが、歌手選びが大変でした。歌手のオーディションには2日用意してあったのですが、キャラクターとクオリティーに満足のいく者が見つからず、あと1日延ばす事にしました。そこで最後に現れたのが、神様,仏様、テリー・デサリオだったのです。一発でOKでした! 彼女は81年に、KC & サンシャイン・バンドのハリー・ケイシーとのデュエットでビルボード1位を獲得していたのでした。流石! その出来立てホヤホヤの音を持って、撮影が行われるニューヨークに飛びました。私、、じゃなくて、音を待っていたスタッフは、プレーバックするなり大満足の表情で喜んでくれたのでした。撮影も順調に終わり、後はオン・エアーを待つのみです。果たしてOVERNIGHT SUCCESSになるか???
これがなっちゃったのでした! オン・エアーと同時に問い合わせが殺到です。オリコン洋楽1位は勿論ですが、総合でもトップ10入りです。年間でも1位「WE ARE THE WORLD」、2位「NEVER ENDING STORY」に次いで3位になってしまいました。OVERNIGHT SUCCESS、いい言葉ですね!  (プロデューサー・吉江一男)
TERI DESARIO - CM TRACKS~よみがえる黄金時代~洋楽編 2 - Overnight Success
i-Tunes Music Storeで購入できます。

2006/04/26

デイビー・ジョーンズ&ピート・タウンゼントと飲んだあと、、、、



3人でロンドンのパブで飲みながら話していると、ピートが「何故僕のことを日本に呼んでくれないんだい?」って聞いてきました。確かにThe Whoは来ていなかったんですね。「たぶん、過去の行動から危険なグループだと思われているんじゃないかな」って答えると、「もう昔みたいな乱暴なことはやらないよ、だから呼んで欲しいね。」と言っていたのですが、それから23年後の2004年夏にようやく初来日を果たしました。横浜国立でのライブは全員年はとりましたがパワーは全く衰えず、毅然としたブリティッシュ・ロックの真髄を聴かせてくれたのでした。そんなピートとパブで別れた後、デイビーのマネージャーが、元セックス・ピストルズのジョニー・ロットンの家にでも遊びに行かないかと言うんで、既にPUBLIC IMAGE LIMITEDを結成していたジョニーの家に遊びに行っちゃったのでした(アンビリーバブル・ハプニング!)。ステージとはうって変わって、もの静かで丁寧に話す古風なイギリス紳士でした。彼も2年後にPILとして来日し、アグレッシブでパワフルなロックを私達に堪能させてくれました。世界のビッグ・スターにCMが縁で少し距離が近ずけた瞬間です。吉江一男

2006/04/25

80年代とCM音楽


80年代もしくはその頃風の音楽が今注目されていますが、80年代の日本はバブル時代で活気に満ち溢れていました。CMも海外での撮影や録音が頻繁に行われていて、特に気候に恵まれたロス・アンジェルスで仕事をしていると、東京ではなかなか会えないような人に出くわしたりしたものでした。私も多い時では年に30回位は往復していたと思います。そんな80年代に録音したCM音楽にまつわるエピソードの中から、先ずは81年にロンドンで録音したカメリア・ダイアモンドについて書いていきます。このCMタイアップから数々のヒット・ソングが誕生したことは良く知られていますが、79年に放送した最初のCMでジュディ・オングを起用し、大ヒット曲「魅せられて」が誕生しました。第2弾の81年には女優のファラ・フォーセット・メジャースが出演し、音楽はその当時日本で人気の高かった元モンキーズのデイビー・ジョーンズに歌ってもらうことになりました。作詞・作曲は当時シャネルズの「ラナウェイ」を書いた、黄金コンビの湯川れい子と井上大輔さんです。湯川さんと井上さんは、10代の時からファンだった私にとっては遠い雲の上の存在で、打ち合わせの時も緊張で何を話したのか覚えていません。たぶんもっともらしいことを喋っていたのでしょう、、、、、一週間ほどしてから素晴しい曲が出来上がってきて、日本でオケの録音をし、いよいよ待ちに待ったロンドンです。デイビーは録音の2日前にマネージャーと曲を聴く為にホテルに来てくれて、誰が見ても一目で分かるくらい昔と変わっていませんでした。録音スタジオでは、声もモンキーズの「DAY DREAM BELIEVER」のままで、「いい曲だね、ヒットするといいね。次に日本に行った時は必ず歌うよ。」と言いながらベストを尽くして歌ってくれたのでした。録音したスタジオは、あの偉大なるバンド・The Whoのピート・タウンゼントのプライベート・スタジオで、丁度録音が終了した頃、驚くことにピートが現れたのです!デイビーとは知り合いなので表敬訪問です。更に驚くことに、一緒にパブで飲むことになり、日本未来日のスパースターと杯を交わしたのでした。パブにいるお客も皆ビックリです、デイビーとピートが一緒にいるわけですから。こんな貴重な経験をさせて頂きながら制作したCMも無事に放送され、デイビーは来日の時に日比谷公会堂でのコンサートで歌ってくれたのでした。曲のタイトルは「魔法でダンス」です。近いうちに80年代CM集の中に収録しようと思います。お楽しみに! 吉江一男

2006/04/23

マリーナ・ショウが歌うスキヤキ


1987年6月、コニカ・フィルムのCM音楽録音の為にロス・アンゼルスに行くことになります。このCMは恋人同士の悲しい物語で、兵役に行ってしまう彼を彼女が駅で見送るという設定です。その映像に「スキヤキ・上を向いて歩こう」が流れます。ご存知のようにこの曲は多数の海外有名アーティストがカバーしているラブ・ソングですが、CM制作にあたりクライアントからは全くオリジナルの新しいバージョンを録音して欲しいとの要望がありました。そこで色々なアイデアの中から、マリーナ・ショウにストリングスをバックに、ゆったりとしたテンポで歌ってもらう企画が採用されました。マリーナ・ショウは10才でニューヨーク・ハーレムのアポロ・シアターでデビューし、根底にゴスペルが流れ、ジャズとソウルの境を自在に行き来する偉大な現役シンガーです。連絡をとってみたら即OKの返事が来ました。オーケストラのアレンジをジミー・ハスケルにお願いし、マリーナの悲しげでソウルフルなヴォーカルに、たくさんの星が輝く夜空に吸い込まれて行くような透明なサウンドで、悲しみと希望が表現できればと考えました。明日になれば涙も消え失せてきっといい天気になる,,,みたいな感じでしょうか。ジミー・ハスケルはサイモン&ガーファンクルの"明日に架ける橋"を筆頭にグラミー最優秀編曲賞を3度受賞しているアメリカン・ポップス界を代表するアレンジャーです。あのプレスリーの"GIブルース"やリッキー・ネルソン"Fools Rush In"等のオールディーズから始まり、現在ビールのCMに使われているブロンディーの"The Tide Is High"や、はたまたオリジナル・サバンナ・バンド、デビッド・バーンに至るまで幅広く活躍しています。そしてジミーの素晴しいスコアーを演奏してくれるのは、当時最も売れっ子だったコンサート・マスターのシド・シャープ率いるオーケストラです。このような素晴らしいアーティスト達が録音する場所は、これまた世界的有名なキャピトル・レコーディング・スタジオで、ここでフランク・シナトラ、ナット・キング・コール、レイ・チャールス等がレコーディングした輝かしい歴史を持つています。最近の映画「レイ・チャールズ物語」で「Georgia On My Mind」をオーケストラと一緒にレコーディングしているシーンにも使われていました。ついでに少しマニアックな話しになりますが、レコーディング・エンジニアはレスリー・ジョーンズで、冗談音楽の元祖・スパイク・ジョーンズの娘さんです。凄いキャスティングでしょう!話は横道にそれますが、このスパイク・ジョーンズに憧れて日本ではクレージー・キャツが誕生し、大滝詠一も崇拝者の一人です。彼女は現在ジョージ・ルーカスが主宰するスカイウオーカー・ランチでチーフ・エンジニアとして活躍しています。これだけ素晴しいアーティストが日本のCMの為に集まってその才能を惜しみなく発揮してくれて、夢のようなレコーデイングは終了しました。Marlena Shaw - CM TRACKS~よみがえる黄金時代~洋楽編 2 - スキヤキ (上を向いて歩こう) 泣きたい人はiTunes Music Storeで。吉江一男

2006/04/20

ダバダ〜の誕生


マッキャン・エリクソンから依頼が来ていた時期のネスカフェCMはレギュラー・コーヒーがメインで、まだゴールド・ブレンドのCMは放送されていませんでした。レギュラー・コーヒーはスイスやローマ等で撮影していて、出演者は皆外人なので外国製のCMだと思われていました。八木さんの音楽も日本人離れしていたので誰もがそう思ったのも頷けます。そして70年にゴールド・ブレンドの放送が始まり、最初に抜擢された違いのわかる男は、映画監督の松山善三さんで、音楽の注文はレギュラー・コーヒーよりワンランク上の上質感と、長期使用に耐えられるテーマ性を持ったメロディーでした。今だから話せますが、八木さんはもともとジャズマンなのでアドリブは得意なのですが、CMソング的なメロディーは苦手でした。でも仕事ですから期待に応えなくてはいけないので、あれこれと10タイプくらいのデモを作ったと思います。今と違いシンセサイザーもないので、演奏家をスタジオに呼んで本番と同じクオリティーで作るので費用もかなりかかりました。そんな中に、八木さん自らが弾くジョン・ルイスばりのジャズ・クラシック風ピアノとミルト・ジャクソンばりのヴァイブの対旋律の上に乗った、伊集加代子さんのソプラノ・スキャットによる美しいダバダ〜があったのでした。まさにMJQとクリスチーヌ・ルグランのコラボともいえるようなこの音楽は、松山善三さんの静かに流れる映像にシンクし、茶の間に圧倒的な量で流れるのでした。それから71年黛敏郎、72年中村吉右衛門、遠藤周作、73年池坊専永、74年北杜夫、75年岩城宏之など錚々たる人達が出演し、音楽もその度に映像に合わせてアレンジされて使われました。でも黛さんと岩城さんの時だけは「やりにくいな〜」と八木さんが言っていたのを思い出します。なんてったって天下の有名作曲家と世界的指揮者ですから、シャイな八木さんのその気持ちも分かります。そんなこんなで85年まで15年間八木さんによるサウンド・トラックが作られます。86年から90年まではある事情により他の音楽が使われて、91年の坂東八十助さんからまた戻り現在に至ます。そのうち今までの全てをCDにしてみたいのですが、皆様もコーヒーでも飲みながらゆったりと聴きたくありませんか? 36年前を思い出しながら、これでおわり。吉江一男

2006/04/19

かっこ良かった八木さん

私が初めて八木さんに会ったのは16才の時でした。60年代その当時八木さんはブルックス・ブラザースを着て、ベレットGTに乗って、サンフランシスコ辺りにいる日系2世アメリカ人風でかっこ良かった。事務所に遊びに行くと、ランチでシャンパンと秘書が焼いたステーキが出て来て、2時間以上もかけて食べるのです。それにビックリ!会話が全部英語なんです。しばらくしてから知るのですが、八木さんはフランク・シナトラに憧れていたんですね。飲んでるウイスキーもスーツもシャツもレジメンタル・タイも帽子も皆シナトラと同じ、英語の発音もシナトラのレコードや映画で練習してました。そんな環境にいた私は、普通の高校生がエレキ・バンドに夢中になっている時に、シャンパンだ、ワインだ、シャトー・ブリアンだといいながら身分不相応に大人の音楽を聴いていました。八木さんに話は戻りますが、、、60年代後半位から八木さんがCM作曲家として売れ始めたころは、広告代理店のマッキャン・エリクソンにいた外人ディレクターや日本語がたどたどしいアメリカ帰りの日系人達から、英語ができる珍しい作曲家として作曲の依頼が増えたのでした。そんな中にネスカフェもありました。つづく、、、、吉江一男

2006/04/18

ジャズ・ピアニスト・八木正生



八木さんは元々はジャズ・ピアニストとして有名で、和製セロニアス・モンクと呼ばれ、人気を二分していた一人の明るくてスインギーな八城一夫さんとは対照的に影のある演奏が魅力的でした。「八木正生・セロニアス・モンクを弾く」は彼の名盤です。60年代初期秋吉敏子さんがバークリー音楽院に留学した後のコージー・クアルテット(渡辺貞夫もいた)のメンバーになり、その後自己のトリオを率いて日本ジャズ・シーンに残るピアニストとして君臨します。60年代半ば位から映画やコマーシャル音楽の作曲を始め、特に映画では「網走番外地」を筆頭に石井輝男監督の殆どを担当し、中村登、恩地日出夫、降旗康男、篠田正浩、吉田喜重など日本を代表する監督の作品に参加し目覚ましい活躍をします。またTVアニメの先駆者「明日のジョー」も代表作品です。80年代に入るとサザン・オールスターズに美しいストリングス・アレンジを提供したり、桑田バンドのアルバムで桑田佳祐とジョン・レノンへのオマージュ曲を共作したりと、多才ぶりを発揮していました。そんな八木さんが♩ダバダ〜♩は1970年に作りました。詳しい話はまた明日。つづく

2006/04/17

♩ダバダ〜♩の作曲家・八木正生さん

ネスカフェ・ゴールドブレンド(NGB)のCMソングで有名な♩ダバダ〜♩は八木正生さんが作曲したもので、1970年に放送が始まってからある期間を除き現在まで35年も流れています。この歌の特徴は全編がスキャットになっていることです。本来のCMソングは企業名、商品名、キャッチ・フレーズ等を歌い込みますが、この曲にはそれがありません。でも誰もが♩ダバダ〜♩といえばNGBのCMソングとして認識しています。これ以外にスキャットのCMソングで記憶に残るのは、小林亜星さん作曲のサントリー・オールド♩ダンダンドゥビ・シュビダデン♩と、「大きくなれよ〜」で有名な、やはり八木正生さん作曲の丸大ハンバーグ♩ハイリハイリホレ・ハイリホ〜♩ なんかがあります。これらもロングランCMでしたが残念なことに現在は放送されていません。ということは八木正生さんはスキャットCMの大家と呼べるかもしれません。明日はこの八木正生さんとNGBダバダ〜について書こうと思います。吉江一男

珊瑚の産卵

今日一番驚いたこと、それは珊瑚の産卵です。それも満月の夜にだけだそうで、38万キロも離れた月との因果関係は未だに解明されていないのだそうです。
Kaz

2006/04/15

J-WAVEの新番組

4月1日からの番組改編で新しい番組が色々誕生しましたが、その中で土曜日18:00〜18:58放送のNISSAN CANDY BANDYを楽しく聴いてまいす。今日で3回目ですが高城剛さんの軽妙で分かり易いしゃべりとテーマが面白い。それに高城さんは最近都内某所で頻繁にDJをやっているらしく選曲が流石です。この番組が長く続いてくれるよう願っています。(プロデューサー・吉江一男)

2006/04/13

日本で最初のCMタイアップ・レコード?






昨今はTVCMタイアップで音楽CDを売るのが隆盛ですが、では日本で最初のタイアップ・レコードは誰でしょうか? 特定する前にタイアップの定義は、曲名もしくはアーティスト名が画面上に表記されていて、レコード会社からレコードが発売されているものです。そこで私の知る限りでは、今から45年前の
1961年に放送されたトリス・ウイスキーのCMがそうではないかと思うんです。白黒の画面上でアイ・ジョージさんが♩トリスを飲んで〜〜♩の飲んで〜〜の部分を、もちろん嬉しいことに裏声で歌って、柳原良平画伯によるアンクル・トリスと一緒にドドンパを踊っているとても楽しいものです。ちなみに作詞は開高健、作曲はアイ・ジョージ本人です。そこで音楽周りのクレジットなんですが、この字が大きくて秒数が長いんですね。歌手名、曲名と来て、最後には“テイチク・レコードで発売中”なんてデッカク出ちゃうんですから。今は申し訳程度に小さく2〜3秒表記されますが、この違いにビックリです。多分昔は60秒CMが主体だったので情報がたくさん入れられたのと、CMを通して新しい文化の発信を担っているという自負みたいなものが、クライアントにあったのではないでしょうか。今は15秒が主体なので、クレジット以前に音楽そのものを聴かせることすら構造的に無理なものが多いのですが、そんな状況にあって音楽の聴こえないタイアップが何故か増え続けています。(プロデューサー・吉江一男)

2006/04/12

chaiシリーズが好調です



‘03年1月発売のchaiと’05年11月発売のchai chaiが音楽配信サイトの
iTMSとMORAで高位置をキープし、chaiにいたっては本日iTMSで48位、MORAの総合で29位とロング・セールスを記録、chai chaiもiTMSで15位(J-P0Pで4位)、MORAの総合で30位と健闘しています。これらはご存知の通りインストルメンタルの数曲を含んで、全て中国語で歌われているサントリー・ウーロン茶CMソングをコンパイルしたカバー・ソング集です。3年前にchaiが発売され話題になって以後、同じような企画のコンピレーション・アルバムが多数発売されましたが、殆どは一時的なブームで終わったようです。ではchaiとの違いは何だったのでしょうか? 一番の理由は、最初から現在まで全ての制作を手がけられているアート・ディレクターの葛西薫氏と、クリエーティブ・ディレクターの安藤隆氏の素晴しい企画に合わせて、サントリー・ウーロン茶CMの為に制作されたオリジナル音源だとういうことです。最近は当たり前になったCMとCDがタイアップのかたちで同時進行したり(それを批難するつもりはありません)、はたまた既存の原盤を使用したりしたことがないのです。CMは勿論商品を売るためのものですから、音楽はあくまでもそのパーツの一つとして、オリジナリティーを大事にしながらスタンスを守るようにしています。(プロデューサー・吉江一男)