2006/04/26

デイビー・ジョーンズ&ピート・タウンゼントと飲んだあと、、、、



3人でロンドンのパブで飲みながら話していると、ピートが「何故僕のことを日本に呼んでくれないんだい?」って聞いてきました。確かにThe Whoは来ていなかったんですね。「たぶん、過去の行動から危険なグループだと思われているんじゃないかな」って答えると、「もう昔みたいな乱暴なことはやらないよ、だから呼んで欲しいね。」と言っていたのですが、それから23年後の2004年夏にようやく初来日を果たしました。横浜国立でのライブは全員年はとりましたがパワーは全く衰えず、毅然としたブリティッシュ・ロックの真髄を聴かせてくれたのでした。そんなピートとパブで別れた後、デイビーのマネージャーが、元セックス・ピストルズのジョニー・ロットンの家にでも遊びに行かないかと言うんで、既にPUBLIC IMAGE LIMITEDを結成していたジョニーの家に遊びに行っちゃったのでした(アンビリーバブル・ハプニング!)。ステージとはうって変わって、もの静かで丁寧に話す古風なイギリス紳士でした。彼も2年後にPILとして来日し、アグレッシブでパワフルなロックを私達に堪能させてくれました。世界のビッグ・スターにCMが縁で少し距離が近ずけた瞬間です。吉江一男

2006/04/25

80年代とCM音楽


80年代もしくはその頃風の音楽が今注目されていますが、80年代の日本はバブル時代で活気に満ち溢れていました。CMも海外での撮影や録音が頻繁に行われていて、特に気候に恵まれたロス・アンジェルスで仕事をしていると、東京ではなかなか会えないような人に出くわしたりしたものでした。私も多い時では年に30回位は往復していたと思います。そんな80年代に録音したCM音楽にまつわるエピソードの中から、先ずは81年にロンドンで録音したカメリア・ダイアモンドについて書いていきます。このCMタイアップから数々のヒット・ソングが誕生したことは良く知られていますが、79年に放送した最初のCMでジュディ・オングを起用し、大ヒット曲「魅せられて」が誕生しました。第2弾の81年には女優のファラ・フォーセット・メジャースが出演し、音楽はその当時日本で人気の高かった元モンキーズのデイビー・ジョーンズに歌ってもらうことになりました。作詞・作曲は当時シャネルズの「ラナウェイ」を書いた、黄金コンビの湯川れい子と井上大輔さんです。湯川さんと井上さんは、10代の時からファンだった私にとっては遠い雲の上の存在で、打ち合わせの時も緊張で何を話したのか覚えていません。たぶんもっともらしいことを喋っていたのでしょう、、、、、一週間ほどしてから素晴しい曲が出来上がってきて、日本でオケの録音をし、いよいよ待ちに待ったロンドンです。デイビーは録音の2日前にマネージャーと曲を聴く為にホテルに来てくれて、誰が見ても一目で分かるくらい昔と変わっていませんでした。録音スタジオでは、声もモンキーズの「DAY DREAM BELIEVER」のままで、「いい曲だね、ヒットするといいね。次に日本に行った時は必ず歌うよ。」と言いながらベストを尽くして歌ってくれたのでした。録音したスタジオは、あの偉大なるバンド・The Whoのピート・タウンゼントのプライベート・スタジオで、丁度録音が終了した頃、驚くことにピートが現れたのです!デイビーとは知り合いなので表敬訪問です。更に驚くことに、一緒にパブで飲むことになり、日本未来日のスパースターと杯を交わしたのでした。パブにいるお客も皆ビックリです、デイビーとピートが一緒にいるわけですから。こんな貴重な経験をさせて頂きながら制作したCMも無事に放送され、デイビーは来日の時に日比谷公会堂でのコンサートで歌ってくれたのでした。曲のタイトルは「魔法でダンス」です。近いうちに80年代CM集の中に収録しようと思います。お楽しみに! 吉江一男

2006/04/23

マリーナ・ショウが歌うスキヤキ


1987年6月、コニカ・フィルムのCM音楽録音の為にロス・アンゼルスに行くことになります。このCMは恋人同士の悲しい物語で、兵役に行ってしまう彼を彼女が駅で見送るという設定です。その映像に「スキヤキ・上を向いて歩こう」が流れます。ご存知のようにこの曲は多数の海外有名アーティストがカバーしているラブ・ソングですが、CM制作にあたりクライアントからは全くオリジナルの新しいバージョンを録音して欲しいとの要望がありました。そこで色々なアイデアの中から、マリーナ・ショウにストリングスをバックに、ゆったりとしたテンポで歌ってもらう企画が採用されました。マリーナ・ショウは10才でニューヨーク・ハーレムのアポロ・シアターでデビューし、根底にゴスペルが流れ、ジャズとソウルの境を自在に行き来する偉大な現役シンガーです。連絡をとってみたら即OKの返事が来ました。オーケストラのアレンジをジミー・ハスケルにお願いし、マリーナの悲しげでソウルフルなヴォーカルに、たくさんの星が輝く夜空に吸い込まれて行くような透明なサウンドで、悲しみと希望が表現できればと考えました。明日になれば涙も消え失せてきっといい天気になる,,,みたいな感じでしょうか。ジミー・ハスケルはサイモン&ガーファンクルの"明日に架ける橋"を筆頭にグラミー最優秀編曲賞を3度受賞しているアメリカン・ポップス界を代表するアレンジャーです。あのプレスリーの"GIブルース"やリッキー・ネルソン"Fools Rush In"等のオールディーズから始まり、現在ビールのCMに使われているブロンディーの"The Tide Is High"や、はたまたオリジナル・サバンナ・バンド、デビッド・バーンに至るまで幅広く活躍しています。そしてジミーの素晴しいスコアーを演奏してくれるのは、当時最も売れっ子だったコンサート・マスターのシド・シャープ率いるオーケストラです。このような素晴らしいアーティスト達が録音する場所は、これまた世界的有名なキャピトル・レコーディング・スタジオで、ここでフランク・シナトラ、ナット・キング・コール、レイ・チャールス等がレコーディングした輝かしい歴史を持つています。最近の映画「レイ・チャールズ物語」で「Georgia On My Mind」をオーケストラと一緒にレコーディングしているシーンにも使われていました。ついでに少しマニアックな話しになりますが、レコーディング・エンジニアはレスリー・ジョーンズで、冗談音楽の元祖・スパイク・ジョーンズの娘さんです。凄いキャスティングでしょう!話は横道にそれますが、このスパイク・ジョーンズに憧れて日本ではクレージー・キャツが誕生し、大滝詠一も崇拝者の一人です。彼女は現在ジョージ・ルーカスが主宰するスカイウオーカー・ランチでチーフ・エンジニアとして活躍しています。これだけ素晴しいアーティストが日本のCMの為に集まってその才能を惜しみなく発揮してくれて、夢のようなレコーデイングは終了しました。Marlena Shaw - CM TRACKS~よみがえる黄金時代~洋楽編 2 - スキヤキ (上を向いて歩こう) 泣きたい人はiTunes Music Storeで。吉江一男

2006/04/20

ダバダ〜の誕生


マッキャン・エリクソンから依頼が来ていた時期のネスカフェCMはレギュラー・コーヒーがメインで、まだゴールド・ブレンドのCMは放送されていませんでした。レギュラー・コーヒーはスイスやローマ等で撮影していて、出演者は皆外人なので外国製のCMだと思われていました。八木さんの音楽も日本人離れしていたので誰もがそう思ったのも頷けます。そして70年にゴールド・ブレンドの放送が始まり、最初に抜擢された違いのわかる男は、映画監督の松山善三さんで、音楽の注文はレギュラー・コーヒーよりワンランク上の上質感と、長期使用に耐えられるテーマ性を持ったメロディーでした。今だから話せますが、八木さんはもともとジャズマンなのでアドリブは得意なのですが、CMソング的なメロディーは苦手でした。でも仕事ですから期待に応えなくてはいけないので、あれこれと10タイプくらいのデモを作ったと思います。今と違いシンセサイザーもないので、演奏家をスタジオに呼んで本番と同じクオリティーで作るので費用もかなりかかりました。そんな中に、八木さん自らが弾くジョン・ルイスばりのジャズ・クラシック風ピアノとミルト・ジャクソンばりのヴァイブの対旋律の上に乗った、伊集加代子さんのソプラノ・スキャットによる美しいダバダ〜があったのでした。まさにMJQとクリスチーヌ・ルグランのコラボともいえるようなこの音楽は、松山善三さんの静かに流れる映像にシンクし、茶の間に圧倒的な量で流れるのでした。それから71年黛敏郎、72年中村吉右衛門、遠藤周作、73年池坊専永、74年北杜夫、75年岩城宏之など錚々たる人達が出演し、音楽もその度に映像に合わせてアレンジされて使われました。でも黛さんと岩城さんの時だけは「やりにくいな〜」と八木さんが言っていたのを思い出します。なんてったって天下の有名作曲家と世界的指揮者ですから、シャイな八木さんのその気持ちも分かります。そんなこんなで85年まで15年間八木さんによるサウンド・トラックが作られます。86年から90年まではある事情により他の音楽が使われて、91年の坂東八十助さんからまた戻り現在に至ます。そのうち今までの全てをCDにしてみたいのですが、皆様もコーヒーでも飲みながらゆったりと聴きたくありませんか? 36年前を思い出しながら、これでおわり。吉江一男

2006/04/19

かっこ良かった八木さん

私が初めて八木さんに会ったのは16才の時でした。60年代その当時八木さんはブルックス・ブラザースを着て、ベレットGTに乗って、サンフランシスコ辺りにいる日系2世アメリカ人風でかっこ良かった。事務所に遊びに行くと、ランチでシャンパンと秘書が焼いたステーキが出て来て、2時間以上もかけて食べるのです。それにビックリ!会話が全部英語なんです。しばらくしてから知るのですが、八木さんはフランク・シナトラに憧れていたんですね。飲んでるウイスキーもスーツもシャツもレジメンタル・タイも帽子も皆シナトラと同じ、英語の発音もシナトラのレコードや映画で練習してました。そんな環境にいた私は、普通の高校生がエレキ・バンドに夢中になっている時に、シャンパンだ、ワインだ、シャトー・ブリアンだといいながら身分不相応に大人の音楽を聴いていました。八木さんに話は戻りますが、、、60年代後半位から八木さんがCM作曲家として売れ始めたころは、広告代理店のマッキャン・エリクソンにいた外人ディレクターや日本語がたどたどしいアメリカ帰りの日系人達から、英語ができる珍しい作曲家として作曲の依頼が増えたのでした。そんな中にネスカフェもありました。つづく、、、、吉江一男

2006/04/18

ジャズ・ピアニスト・八木正生



八木さんは元々はジャズ・ピアニストとして有名で、和製セロニアス・モンクと呼ばれ、人気を二分していた一人の明るくてスインギーな八城一夫さんとは対照的に影のある演奏が魅力的でした。「八木正生・セロニアス・モンクを弾く」は彼の名盤です。60年代初期秋吉敏子さんがバークリー音楽院に留学した後のコージー・クアルテット(渡辺貞夫もいた)のメンバーになり、その後自己のトリオを率いて日本ジャズ・シーンに残るピアニストとして君臨します。60年代半ば位から映画やコマーシャル音楽の作曲を始め、特に映画では「網走番外地」を筆頭に石井輝男監督の殆どを担当し、中村登、恩地日出夫、降旗康男、篠田正浩、吉田喜重など日本を代表する監督の作品に参加し目覚ましい活躍をします。またTVアニメの先駆者「明日のジョー」も代表作品です。80年代に入るとサザン・オールスターズに美しいストリングス・アレンジを提供したり、桑田バンドのアルバムで桑田佳祐とジョン・レノンへのオマージュ曲を共作したりと、多才ぶりを発揮していました。そんな八木さんが♩ダバダ〜♩は1970年に作りました。詳しい話はまた明日。つづく

2006/04/17

♩ダバダ〜♩の作曲家・八木正生さん

ネスカフェ・ゴールドブレンド(NGB)のCMソングで有名な♩ダバダ〜♩は八木正生さんが作曲したもので、1970年に放送が始まってからある期間を除き現在まで35年も流れています。この歌の特徴は全編がスキャットになっていることです。本来のCMソングは企業名、商品名、キャッチ・フレーズ等を歌い込みますが、この曲にはそれがありません。でも誰もが♩ダバダ〜♩といえばNGBのCMソングとして認識しています。これ以外にスキャットのCMソングで記憶に残るのは、小林亜星さん作曲のサントリー・オールド♩ダンダンドゥビ・シュビダデン♩と、「大きくなれよ〜」で有名な、やはり八木正生さん作曲の丸大ハンバーグ♩ハイリハイリホレ・ハイリホ〜♩ なんかがあります。これらもロングランCMでしたが残念なことに現在は放送されていません。ということは八木正生さんはスキャットCMの大家と呼べるかもしれません。明日はこの八木正生さんとNGBダバダ〜について書こうと思います。吉江一男

珊瑚の産卵

今日一番驚いたこと、それは珊瑚の産卵です。それも満月の夜にだけだそうで、38万キロも離れた月との因果関係は未だに解明されていないのだそうです。
Kaz

2006/04/15

J-WAVEの新番組

4月1日からの番組改編で新しい番組が色々誕生しましたが、その中で土曜日18:00〜18:58放送のNISSAN CANDY BANDYを楽しく聴いてまいす。今日で3回目ですが高城剛さんの軽妙で分かり易いしゃべりとテーマが面白い。それに高城さんは最近都内某所で頻繁にDJをやっているらしく選曲が流石です。この番組が長く続いてくれるよう願っています。(プロデューサー・吉江一男)

2006/04/13

日本で最初のCMタイアップ・レコード?






昨今はTVCMタイアップで音楽CDを売るのが隆盛ですが、では日本で最初のタイアップ・レコードは誰でしょうか? 特定する前にタイアップの定義は、曲名もしくはアーティスト名が画面上に表記されていて、レコード会社からレコードが発売されているものです。そこで私の知る限りでは、今から45年前の
1961年に放送されたトリス・ウイスキーのCMがそうではないかと思うんです。白黒の画面上でアイ・ジョージさんが♩トリスを飲んで〜〜♩の飲んで〜〜の部分を、もちろん嬉しいことに裏声で歌って、柳原良平画伯によるアンクル・トリスと一緒にドドンパを踊っているとても楽しいものです。ちなみに作詞は開高健、作曲はアイ・ジョージ本人です。そこで音楽周りのクレジットなんですが、この字が大きくて秒数が長いんですね。歌手名、曲名と来て、最後には“テイチク・レコードで発売中”なんてデッカク出ちゃうんですから。今は申し訳程度に小さく2〜3秒表記されますが、この違いにビックリです。多分昔は60秒CMが主体だったので情報がたくさん入れられたのと、CMを通して新しい文化の発信を担っているという自負みたいなものが、クライアントにあったのではないでしょうか。今は15秒が主体なので、クレジット以前に音楽そのものを聴かせることすら構造的に無理なものが多いのですが、そんな状況にあって音楽の聴こえないタイアップが何故か増え続けています。(プロデューサー・吉江一男)

2006/04/12

chaiシリーズが好調です



‘03年1月発売のchaiと’05年11月発売のchai chaiが音楽配信サイトの
iTMSとMORAで高位置をキープし、chaiにいたっては本日iTMSで48位、MORAの総合で29位とロング・セールスを記録、chai chaiもiTMSで15位(J-P0Pで4位)、MORAの総合で30位と健闘しています。これらはご存知の通りインストルメンタルの数曲を含んで、全て中国語で歌われているサントリー・ウーロン茶CMソングをコンパイルしたカバー・ソング集です。3年前にchaiが発売され話題になって以後、同じような企画のコンピレーション・アルバムが多数発売されましたが、殆どは一時的なブームで終わったようです。ではchaiとの違いは何だったのでしょうか? 一番の理由は、最初から現在まで全ての制作を手がけられているアート・ディレクターの葛西薫氏と、クリエーティブ・ディレクターの安藤隆氏の素晴しい企画に合わせて、サントリー・ウーロン茶CMの為に制作されたオリジナル音源だとういうことです。最近は当たり前になったCMとCDがタイアップのかたちで同時進行したり(それを批難するつもりはありません)、はたまた既存の原盤を使用したりしたことがないのです。CMは勿論商品を売るためのものですから、音楽はあくまでもそのパーツの一つとして、オリジナリティーを大事にしながらスタンスを守るようにしています。(プロデューサー・吉江一男)

2006/04/11

~ BBC Proms ~ Classical Music Festival


先週金曜日の深夜はNHK・ハイビジョンで3時間半に渡りPromsのLast Nightが放送されていました。Promsはザルツブルグと並ぶ有名な音楽祭のひとつで、
1895年8月10日に最初の幕が降りてから現在まで110年の歴史を持っています。クラシック音楽を一般的にする目的で、開催場所であったクイーンズ・ホールのマネージャー・Robert NewmanとSir Henry Woodが設立しました。 当初は「Mr. Robert Newman’s Promenade Concert」と呼ばれていましたが、1930年にBBCが運営を担うことになり、開催場所もロンドン・ロイヤル・アルバート・ホールに移り現在に至ります。PromsとはPromenadeの意味です。
ロイヤル・アルバート・ホールというと、クラシック音楽で有名でしたが、1970年代頃からはロック・ポップスのアーティスト達が出演するようになり、
最近ではロッド・スチュアートが往年のフェイセス時代のロン・ウッド(現在はR.STONESに)をゲストにロックの名曲の数々を、そしてオーケストラをバックにアメリカン・スタンダードを披露し話題をさらいました。そんな音楽の殿堂で05年9月10日にPromsのラスト・コンサートが行われました。BBCシンフォニーをはじめ、多彩なゲスト達による演奏の中で印象に残ったものは、世界的ギターリストのジョン・ウィリアムスが弾いたロドリーゴのアランフェス協奏曲が圧巻でした。今まで彼のライブには行ったことがないので得をした感じです。それからイギリス人作曲家のランバートが作った「リオ・グランデ」が良かった。イギリス人の作品はなんか生真面目で硬い感じが多いのですが、この作品はガーシュインみたいに軽妙で洒落たウイットがあり、編成もオーケストラにパーカッションが6人、ソロ・ピアノにメゾ・ソプラノ入りと変わっているのがいい。まさに英国の「ラプソディー・イン・ブルー」と呼ばれるに相応しい作品です。しかし何と言っても凄かったのはフィナーレです。オリンピックのような特別なものであったら分かるのですが、毎年こんなに盛り上がっちゃうなんて信じられません。というのは、アルバート・ホールを中心に、ロンドン・ハイド・パーク、マンチェスター・ヒートン・パーク、ウエールズ・シングルトン・パーク、アイルランド・ベルファスト市庁舎前広場、グラスゴー・グラスゴー・グリーンの英国全土5カ所にそれぞれオーケストラと合唱隊を配置し、サテライトで結び、トラファルガー海戦を歌った「海の歌による幻想曲」を一斉に奏でるのです。進軍ラッパから始まって英国の勝利を讃える歓喜の歌が聴衆も一緒になって鳴り響きます。これは凄い、これぞ愛国心だ。彼等がどういう気持ちで歌っているのか本心は分からないけど、もし日本で同じようなことをやろうと思ったら、軍国主義の復活だとか、隣国との問題やら何やらで絶対に無理かもしれない。そこで思ったことは、環境問題や政治的な問題で音楽家や芸術家達がメーッセージを発しなくてはならない状況になることは不幸だということです。吉江一男

2006/04/10

〜ピッカピカの一年生〜3.5秒への気持ち


入学シーズンなので、小学館の学習雑誌“小学一年生”のコマーシャルであるピッカピカの一年生を作曲した時のエピソードを書きます。
今から28年前の1978年6月、その当時はまだ電通の普通のプランナーだった杉山恒太郎と安西俊夫の両氏からCMソングの制作依頼が舞い込みました。その当時私はそれまで大変お世話になったCM音楽の制作会社を3月に辞めて、自分の会社を設立する準備をしていて不安な毎日を送っていました。打ち合わせが太陽企画であり、友人から5,000円で買った50CCのバイクに乗り、初めての仕事の依頼に口笛を吹きながら胸躍らせて新橋に向かうと、杉山、安西両氏の他にプロデューサーの山田晴規さん、アシスタントの向井潤一さん、それに演出の増田さんがいて私の到着を待っていました。CMのコンセプトを杉山さんが簡単に述べたあと、演出家の増田さんから、彼のお子さんは丁度この年に小学校に入学されたそうで、ここまで育ってくれた喜びと、自分から離れて行くような寂しさが混同している親の気持ちを3.5秒の音楽に込めて欲しいとの要望がありました。待ってました!これぞコマソン屋の極み。「分かりました、やってみます。」と言って、打ち合わせも終わりバイクのエンジンを駆け始めた瞬間、「できた−!これだー!」本当です、皆様の知っているあの曲が出来上がっちゃったのでした。ステップ踏んじゃう楽しい時は、やっぱりリズムはシャッフル、その上に寂しいマイナーのメロデイー、これで決まりです。でもシャッフルを音頭にし、♩ピッカピカの(タカタッタ)一年生♩の(タカタッタ)入りにしたことと、クニ河内さんの歌で日本的な情緒が更に強調されたのだと思います。余談ですが(タカタッタ)は私がコンガをドラム・スティックで叩いています(制作費があまりなかったので節約しました。)。そんな風にして出来上がったCMが放送されると大変な評判になりました。79年放送の年に長女の真美子が生まれ(私事で恐縮ですが)、この子が小学校入学までこのCMが続いてくれたらいいと願っていたら、未だに続くロングランCMになってしまいました。杉山さんは今は電通の執行役員になられて世界の電通を牽引する重責にあり、現場の大好きな安西さんはクリエーティブ・ディレクターとしてヒットCMを作り続け、山田、向井両氏は制作会社スプーンを設立して、みんな今も元気に頑張っています。いつまでたっても♩ピッカピカの(タカタッタ)一年生♩の気持ちのままで。  まぶたひとえ(吉江一男)

2006年三ツ矢サイダーCMソングが5/3にCD化されますっ。

GOING UNDER GROUND書き下ろしの"VISTA"という曲です。このCM業界、タイアップという形でアーティストの曲をそのまま使うってのがあたりまえのようになっているなか、GOINGは2年連続このCMのためだけに15秒の曲を書き下ろしているのです。だってバッチリ「三ツ矢サイダ〜」って歌い込んでるでしょっ!普通の曲じゃまずありえませんよねっ(笑)
 だからその15秒のフレーズの中にはこのCMのコンセプトや、10代のがんばってる少年少女に向けたメッセージが凝縮してつまっているんです。ただのタイアップとはわけが違うんですよっ。そしてそのわずか15秒のフレーズがフルサイズの曲になったというのだからどんな風になったのかってドキドキせずにはいられないんです。
 そして、このCMの映像、企画、スタッフ、チャンスがなければ、この曲のメロディもアレンジも生まれていなかったのだなと思うと、すべてのことには理由があり、つながっているんだなぁと、運命のすばらしさに感動してしまうのです。だから、そのミラクルな現場をつくりだす音楽プロデュースという仕事はやめられないんですよねっ。
 
 5/3には皆さんのところにも前向きでまっすぐなこの曲が届くことでしょう!(十代の男子女子にはマスト!)。CMも夏に向けてガンガンON AIRされるし、今年はいい夏になりそうです。(BOOGIE VOX プロデューサー 利根川貴之)
 

2006/04/07

〜ロス・アンゼルス ハリウッド・ボールでのコンサート〜 吉江一男



ハリウッド・ボールはハリウッドの中心を走るハリウッド大通りを、アカデミー賞の開催場所で有名だったグローマンズ劇場を背にダウンタウンの方向に向かって、ハイランド・アヴェニューを左折しそのままハリウッド・ヒルを登った小高い丘の中腹にあります。ここでは、63年にビートルズが、81年には我が日本のYMO(矢野顕子、松武秀樹らも帯同)も演奏しました。ポップスからクラシックまであらゆるジャンルの有名アーティスト達がこぞって出演している由緒ある野外劇場です。私は今から15年前の91年8月に、あるCMの仕事でロス・アンゼルスに行き、録音も無事に終了したのでここハリウッド・ボールに足を運んだのでした。出演者はロス・アンゼルス・シンフォニーで、指揮者は、な、な、なんとサイモン・ラトルです。この当時ラトルはバーミンガム・シンフォニーを振りながらL.A.フィルの音楽監督もやっていました。演目は何でしょう? ビックリしないで下さい、ベートーベンの第9です。真夏の夜の野外コンサートでですよ。私は同行した作曲家・中川俊郎とまだ10才だった我が息子を連れて、アイス・ボックスにビールとワインを入れ、途中の売店で仕入れた大きなホット・ドッグを持って会場に乗り込んだのでした。1曲目のストラヴィンスキーが終わり、第9が始まる頃はすっかり暗闇になり、空には星が輝き、アメリカはプライベート飛行機が多いので、ヘリやセスナ等の灯りが入り交じり幻想的です。特に第4楽章の合唱に入ると飛行機の雑音も音楽に同化しながら盛り上がっちゃって、まさにトリップ状態です。こんな風にカジュアルにクラシックが聴ける国がとても羨ましく思ったものでした。そして、ラトルは現在世界最高のオーケストラ、ベルリン・フィルにいます。最後に皆様にいち早く今年のハリウッド・ボールでのL.A.フィルのスケジュールを書いておきます。なんと今年は偶然にもベートーベンの第8と第9が同時に聴けますよ。日本ではこれらは年末が恒例ですが、カリフォルニアでは夏休みが一般的?

07/11 ベートーベン・第8、第9
07/25 バッハ・ブランデンブルグ協奏曲、モーツアルト交響曲40番
08/08 メンデルスゾーン・ヴァイオリン協奏曲、ブラームス交響曲2番
08/22 ヘンデル・王宮の花火、ビヴァルディ・四季ほか
 

今日からblogが始まりました。

CM制作の裏話(どこまで書けるか分かりませんが、、、)や日頃スタッフが感動した事柄などを書いていきますのでヨロシクね!