2006/05/31

〜輝ける80年代CMシリーズ〜 Boy George(4) 完成そして、、、




さてどうしようか?途中で帰っちゃったのには困りました。マネージャーとスタジオに戻るように交渉して2日が経ちました。ある程度ボーイの好きなように歌うことでOKをとったのでした。取合えず戻ってくれればこっちのものなので、気分を害さないように努めながら、
なんとか歌入れは終わりました。まだ撮影が残っていたのでスタッフはさぞかし胸を撫で下ろしたことと思います。こんなハプニングがあったのでミックスは日本でやることにして帰国し、馬飼野曲は内沼英二さんのミックスでブライトで派手な音が、細野曲は寺田さんのシャープでカッコイイ音が出来上がりました。映像の編集も終わりいよいよCMの完成です。MAルームで完成品を見た時は、これはヤバイと思いました。放送されると凄い反響で、この仕事をやってて本当に良かったと満足感で一杯になりました。しかし、このCMは間もなくボーイ・ジョージの事情により放送が打ち切られ、代役が後を努めることになります。音楽も同じオケを使いながら、ボーイの歌がロス・アンゼルス在住のシンガー・キップ・レノンに変わりました。キップはロスでは有名なレノン・シスターズの末っ子で、50人以上の物真似ができる、売れっ子のスタジオ・シンガーでした。ハプニング続きの忘れられない仕事のひとつです。終わり,吉江一男

KIPP LENNON - CM TRACKS~よみがえる黄金時代~洋楽編 3 - あなたのとりこキップの歌う2曲「あなたのとりこ」(馬飼野康二作)「恋のファイアー・ボーイ」(細野晴臣作)はi-Tunes Music Storeで購入できます。

〜輝ける80年代CMシリーズ〜 Boy George(3) ボーイが帰っちゃった!

田町にあったアルファ・レコードのスタジオに細野さん、近田春夫、クリスが集まり、いよいよ細野さんのバック・トラックにクリスの仮歌を録音します。このスタジオではYMOをはじめ、ユーミン、吉田美奈子、ハイファイセット、ブレッド&バターなど錚々たるアーテイスト達がレコーディングしていました。細野さんはスタジオでは落ち着いていて、トップ・アーティストとしての風格がありました。近田は普段の録音と少し違い緊張気味です。クリスのクイーンズ・イグリッシュなまりの仮歌は上手くはないのですが、メロディーが分かればいい程度なので簡単に終わりました。馬飼野さんのデモは彼のハウス・スタジオで行なわれ、これもクリスと近田がそれぞれ英語詞と日本語詞を歌ってくれました。いよいよこの2曲を持ってロス・アンゼルスで録音です、、、、、、、、ボーイ・ジョージにはロスで初めて曲を聴いてもらうので、どうなっちゃうのか心配で胃が痛む思いをしていました。ベル・エアー・ホテルにスタッフ全員が集まり、ボーイを交えて最終絵コンテと音楽の打ち合わせが始まり、彼はとても協力的で全てがスムーズに運び、何日か後に録音するので曲を覚えて来てくれるように頼みました。録音はマイケル・ジャクソンなどが使用していたウエストレイク・スタジオで行なわれ、ボーイは細野さんの曲は完璧に覚えてあったので問題なく終わったのですが、馬飼野さんの曲になると全く違うメロディーで歌い始めるので、ディレクションするのにかなり困ったのでした。外国人との仕事では過去にも同じような経験はあるので慌てはしなかったのですが、私が細かく直しを入れるので、ボーイは気分を悪くして途中で帰ってしまいました。さあ大変です。つづく、吉江一男

〜輝ける80年代CMシリーズ〜クィンシー・ジョーンズ(4)「Back On the Block」


レコーディング終了の翌日、クィンシーから連絡が入りました。「グレート(素晴らしい)!」やったー!心の中で叫んでしまいました。そして素晴らしいアレンジをしてくれたジェリーをはじめ、アーティストやスタッフのみんなに心から感謝しました。
「でもひとつだけ気になるのはスネアドラムがほんの少し大きすぎる・・・」とのお言葉です。たしかに僕も気になっていたところです。今と違いやり直すのはたいへんです。「でも直すほどのことでもないよ、大丈夫。」ほっとしました・・・。
CMの撮影も完了し素晴らしい出来上がりになりました。数ヵ月後のことでした。クィンシーのニューアルバム「バック・オン・ザ・ブロック」がリリースになりました。盟友レイ・チャールズをはじめとした豪華なアーティストの競演によるすごいラインアップです。
なんとその中に今回の曲「トゥモロー」が収録されています。きっとクィンシーのすごいプロデュース&アレンジになっているのだろうと思いながら12曲目をプレイしました。イントロが流れます・・・えっ!!CMのアレンジとまったく一緒です。クレジットを見るとジェリー・ヘイをはじめとして同じミュージシャンです。たいへんだったヴォーカルのパートになると聴いたことのない素晴らしい歌声です。テビン・キャンベル、あとで天才的な逸材ということが分かります。うれしいやら、信じられないやらさらに素晴らしいディテールとなった「トゥモロー」を何度も何度も聴きなおしました。
終わり、渡辺秀文

2006/05/29

〜イタリア語のCMソングがオリコン洋楽1位に〜


1990年初夏、ライオンのプレーン&リッチというシャンプーのCMがスタートしました。出演は当時人気絶頂にあった浅野温子さんです。クリエーティブ・ディレクター・魚住勉、アート・ディレクター・井上嗣也、演出・結城臣雄という錚々たるスタッフで制作されるCMは、全編シシリー島で1ヶ月間撮影が行われ、名画「島の女」に登場するソフィア・ローレン扮するフェドラをイメージし、野性的で自由奔放な浅野温子の魅力を引き出すことが企画の骨子です。 私事になりますが、「島の女」は忘れられない映画の一つで、真っ青なエーゲ海に海女の役で潜るソフィア・ローレンのみずみずしい魅力に目が釘付けになり、胸が熱くなったのを鮮明に覚えています。それにジュリー・ロンドンが吹き替えで歌った「イルカに乗った少年」の切なく美しいメロディーが強烈で、映画館から帰るなり必死に思い出しながらピアノで弾いて音節を確かめたりしました。そんな素晴しい企画のCM音楽を任されたのですから、張り切らないわけがありません。この際思い切って全編イタリア語の新曲を作ってみようとチャレンジ精神がかき立てられ早速制作に入りました。作曲は私が全幅の信頼を置いていたMARK DAVISで、一緒の仕事で既にオリコン洋楽1位を何曲か獲得していました。彼は今回も期待通りにいい曲を書いてくれて、クライアントもとても気に入ってくれ、イタリア語の歌詞をつけ、MARKの素晴しいバック・トラックを持って、ついにミラノでの録音です。ミラノでは色々ありましたが、10人ばかりオーディションをしてEMI CALINAというミラノ女性に決めて歌ってもらい、後は東京でミックスをして映像に合わせるだけです。シシリー島の撮影が終わり、ミラノで合流した郡家淳プロデューサーと一緒に帰路につきました。
オール・ラッシュを見ると映像はどれもが美しく、浅野の魅力で満ち溢れていました。音楽を付けてみると皆無口になっちゃって、特に魚住さんの目が潤んでいたのを覚えています。完成したCMは放送と同時に話題になり、6月21日発売のCDはオリコン洋楽1位になりました。イタリア語のシングルが1位になるのはなんと20年振りだったのです。イタリアの映画音楽は日本人好みのセンチメンタルな曲が多く、私も青春時代にいっぱい聴きました。そんなイタリア映画への恩返しができたようです。吉江一男
この美しい曲は6/28発売の人気シリーズ“chai”第3弾”chai dance”に中国語バージョンで収録されます。
EMI CALINA - CM TRACKS~よみがえる黄金時代~洋楽編 2 - 彼女 (Mario)
オリジナル音源はi-Tunes Music Storeで購入できます。

2006/05/28

〜輝ける80年代CMシリーズ〜 Boy George(2)





二人からデモ・テープが上がって来ました。細野さんにはダンス曲を頼んであったんですが、予想した通りに普通じゃない物ができてきました。メロを自らラララで歌ってるんですが、それが1オクターブ低いのでなんか暗くはっきりしなくて、何回も聴かないとイメージが掴めず、正直なところかなり不安になりました。それにテクノ系ダンスは縦乗りなのでシンコペーションをあまり使わないんですが、最初から最後までシンコペだらけ。流石!ですよね。結局私の出したこの曲の結論は゛キッチュさが最高dayone゛でした。そうそう映像の説明をもう少しした方がいいですね。映像はボーイ・ジョージ版西遊記でボーイが三蔵法師に扮し、孫悟空、猪八戒,沙悟浄はリック・ベイカーの特殊メイクによって作られました。ボーイの三蔵法師は彼のモノ・セクシャルな魅力が加わり妖艶で美しく、これ以上ピッタリの役はないだろうと思いました。そんな三蔵法師の前で孫悟空達が踊りや歌に興じるオアシスでの酒席の模様に細野さんの音楽がつきます。映像はド派手でキッチュに上がって来るのが想像できたので、細野さんの持っているスラップ・ミュージック的な部分とキッチュさが絶対に合うことは確信していました。さてクリスと作詞の打ち合わせです。ボーイと同じイギリス人アーティスト同士なので、私が細かいことを言うより先ず作ってもらうことにしました。クリスはとてもアーティスティックでスノッブな人間でしたが、CMを頼んだ時はアーティスティックな部分を残しながら分かり易いものを書いてくれました。馬飼野さんからもいい曲が上がって来て、後はクリスの歌詞が付き次第、クライアントとボーイに聴いてもらう為のデモ・テープの録音です。つづく、、、、吉江一男

2006/05/26

〜輝ける80年代CMシリーズ〜 Boy Georgeをタカラ・缶チューハイに

84,85年の2年間でジョン・トラボルタ出演のCMが終わり、86年は年明けそうそうに凄いプロジェクトが来ました。それはカーマ・カメレオンの大ヒットで世界的スターになったボーイ・ジョージを起用しての新シリーズで、商品はタカラ焼酎”純”と”缶チューハイ”の二つがあり、両方にボーイ・ジョージが出演し、それぞれにオリジナル・ソングを制作するというものでした。企画打ち合わせに参加してみて、そのスケールの大きさに驚いたものでした。多分制作費的にCM史上最大だったと思います。ロス・アンゼルスから2時間位フリーウェイを飛ばした砂漠でロケをし、その当時最高のあらゆるCG技術を駆使し合成された映像は、私達の度肝を抜きました。演出は、JR東海・クリスマス・エキスプレスなどで知られる早川和良さんです。特殊メイクは”猿の惑星”で有名なメイクアップ・アーティストのリック・ベイカーが担当しました。さて音楽を誰に作ってもらうかですが、クライアントからはオリエンタルなサウンドが欲しいとの要望があったので、日本人作家から選ぶことにし、”純”はヒット・メイカーの馬飼野康二に、そして”缶チューハイ”は細野晴臣に、英語歌詞をイギリス人アーティストのクリス・モスデルに、”純”は日英歌詞のミックスにしたく日本語詞を近田春夫にそれぞれ頼むことにしました。
さあ、こんな豪華なメンバーでどんな物が上がって来るのか楽しみです!つづく、、、、吉江一男

2006/05/25

〜輝ける80年代CMシリーズ〜クィンシー・ジョーンズ(3)「アンドレ・クラウチ(ゴスペルの巨星)」


ロサンゼルスでの録音は、素晴らしいミュージシャンたちによって順調にスタートしました。ジョン・ロビンソンとニール・ステューベンハウスのリズム隊のステディだけど温かみにあふれたプレーには本当に感動しました。
その後にちょっとした難関が待ち受けていました。CMの企画の中で小学生くらいの黒人の男の子がこの曲にあわせて歌をうたうことになっていました。もともと歌詞のない曲ですのでまず知り合いの作詞家に英語詞を発注、そして歌う男の子のオーディションです。クィンシーの紹介で現れたのがなんとアンドレ・クラウチ!!
http://www.jaspella.com/music/artists/crouch_andrae/j-index.html
もともとはおもに教会だけで歌われていたゴスペル(神の御言葉という意味)をポピュラー音楽として定着させた立役者であり自らのクアイアー(聖歌隊)も有名です。いまでこそ日本でも人気のゴスペルですが、彼がいなければいまだに教会の中だけで歌われていたかもしれません。アンドレは素晴らしいナイスガイでとても親切に10人近い候補の男の子を連れてきてくれて一緒に手伝ってくれました。名前は忘れましたが8歳くらいのきれいな声を持った子をセレクトしとてもチャーミングなヴォーカル録音ができました。徹夜をふくむ3日間で無事に録音は終わりました。自分としては精一杯やりました。
さて、クィンシーははたして曲を気に入ってくれるでしょうか。入試の結果を待つような久しぶりの緊張です。つづく、渡辺秀文

2006/05/24

〜輝ける80年代CMシリーズ〜 ‘87年 With ANITA O'DAY

(私の一番気に入っているアルバムです)

(Robin Loggie & Anita at Capitol Recording Studio)


今回は、前回のメル・トーメに続き、白人女性ジャズ・ボーカルの最高峰アニタ・オデイとの仕事の話です。ANAは国際線の就航を一気に加速させている時期で、新路線就航の度に大量のCMを放送していて、今回はビジネス・クラスのサービス・アップ・キャンペーンのCMです。今までよりシートが大幅に広くなり、忙しい仕事に追われているビジネスマンが、海外出張の際にゆったりとしたフライトが楽しめるようにとの思いが込められていました。ワンランク上の大人の為のCMと来れば “やはりジャズだよね、”ということで、何とアニタ・オデイ(http://music.goo.ne.jp/artist/ARTLISD19000/)を起用し、これもCMの気分を伝えてくれるオリジナル・ソングを制作することになりました。作家は前回の仕事で息の合ったところを見せてくれたアーサー・ハミルトンとジョー・ハーネルのコンビです。ジョーの弾き語りのデモも上がり、クライアントに聴いてもらったところ気に入ってくれたので、ロス・アンゼルスで本番です。
キャピトル・レコーディング・スタジオに現れたアニタは気さくで、声も大きく明る過ぎてビックリさせられ、レコードで聴いていたあの深い渋みのある歌からは想像できませんでした。全員が彼女のオーラに吸い込まれるように、お互いをレスペクトしながらハッピーな雰囲気の中でレコーディングは終了しました。これで雲の上の存在だったメル・トーメとアニタ・オデイという二人の偉大なるアーティスト達と一緒に音楽を作ることができて、CM音楽制作の醍醐味と面白さを実感し、ますますエネルギーが湧いて来たのでした。吉江一男
Anita Oday - CMよみがえるCM黄金時代 ~洋楽編1~ - Easy Life“Easy Life”と題されたこの希少なオリジナル音源はi-Tunes Music Storeで購入できます。

〜輝ける80年代CMシリーズ〜 ‘88年メル・トーメ


(From the left、Yoshie, Mr. Mel Torme, Arther Hamilton , Joe Harnell , Mel's manager at Capitol Recording Studio)

今回は、私がまだ高校生でジャズにとり憑かれ初めていた頃、最も好きだったシンガーの一人であったメル・トーメと仕事をした時の話です。今回の音楽は、東京ガスのシティ・エアコン・TOKIOのCM用に、都会的で洗練されたジャズを作って欲しいというクライアントからのオーダーにより制作されました。できればCITYを歌詞の中に入れて歌って欲しいとの具体的な要望を受け、作家と歌手の候補選びが始まり、その当時でまだ現役のジャズ・ボーカリストが何人か上がった中で、メル・トーメに白羽の矢が立ったのでした。メル・トーメは“ベルベットの霧”などと言われ、スキャットのアドリブを交えながら歌う独特のスタイルで、ジャズ・ボーカル史上に輝かしい足跡を残した偉大なるシンガーです。
http://oops-music.com/info/view.html?oid=3890
歌ってくれることを願いながら、ロス・アンゼルスのロビン(ビルボード・マガジン、ワーナー・エレクトラ・アサイラムを経て85年より弊社の現地スタッフとして勤務)に連絡をとってもらったところOKの返事が来ました。凄い!メル・トーメが歌ってくれる。楽曲を誰に作ってもらおうか? そこでJOE HARNELLとARTHER HAMILTONのコンビに依頼しました。JOE HARNELLはピアニストとして18枚のアルバムをリリースし、“Fly Me To The Moon”でグラミーを受賞し、ペギー・リーの代表曲“フィーバー”のアレンジもしています。ARTHER HAMILTONは、アメリカン・スタンダード史に燦然と輝くあの名曲“Cry Me A River”の作詞・作曲家です。私はペギー・リーのバージョンが秀逸だと思います。二人ともペギー・リーを通じて長い間親交がありました。そんな二人が日本のCMの為にオリジナル・ソングを書いてくれて、メル・トーメが歌うんですよ。夢のような話です。10日後位にJOEが自宅で弾き語りで録音したデモ・テープが届き、楽曲の美しさに目頭が熱くなったのを覚えています。ロスでのレコーディングは勿論キャピトル・レコーディング・スタジオで、ピアノ・トリオにジェリー・ヘイのトランペット・ソロを加えた編成で行われました。メルはスタジオに来ていたARTHER HAMILTONに会うと「あなたが、あの美しい曲Cry Me A Riverの作家だったんだね。会えて本当に嬉しい。今回の曲も素晴しいよ。じゃ歌おうか、、、」と言ってマイクに向かうと、スイートでシャギーなベルベット・ヴォイスをもったいない位十分に聴かせてくれて、最高のトラックが出来上がり、CMも無事に放送されたのでした。なおメル・トーメは1999年6月5日ロス・アンゼルスで74年の生涯を終えました。吉江一男
Anita Oday - CMよみがえるCM黄金時代 ~洋楽編1~ - Easy Lifeこの希少なオリジナル音源“The City”はi-Tunes Music Storeで購入できます。

2006/05/19

〜輝ける80年代CMシリーズ〜クィンシー・ジョーンズ(2)「アレンジャーにジェリー・ヘイを起用」


さて、期待と不安の入り混じった大きなプロジェクトがついに動き出しました。CMの内容は、アメリカの音楽を志す若者や、子供たちとクィンシー・ジョーンズとのふれあいを描いたヒューマンタッチの数本のシリーズです。撮影およびレコーディングは、ロサンゼルスで行われることになりました。今回の成功の鍵をにぎるのは、なんといってもアレンジャーです。僕やクライアントからのさまざまなリクエストに対して、さらに天下のクィンシー・ジョーンズが納得するようなクオリティでしっかりと表現してくれる実力のある人を探しました。そして、僕が大学のときに愛聴していたハワイのフュージョンバンド「シー・ウィンド」のリーダー、トランペッターのジェリー・ヘイに依頼しました。ジェリーは当時すでにアメリカではたいへんな売れっ子アレンジャー、トランペッターとしてクィンシーが手がけたマイケル・ジャクソンのアルバムや日本では松任谷由実のアルバムにおいてもホーンアレンジをやっていました。オファーしたところ快諾してくれ、僕の希望するアレンジの方向を理解してくれました。すぐにベーシック・トラック(いわゆるカラオケ)をつくるミュージシャンのリストが送られてきました。すごいメンバーで驚きました。ドラムスにジョン・ロビンソン、ベースにニール・ステューベンハウス、シンセサイザーにランディー・カーバー、そしてコーラス隊には、超有名なアンドレ・クローチ・シンガーズといった、当時の僕にとって夢のような布陣となりました。いままではリスナーの一人だった僕が、録音の中心になると思うと武者ぶるいがしました。さて、いざロサンゼルスへ・・・・渡辺秀文

2006/05/16

〜輝ける80年代CMシリーズ〜クィンシー・ジョーンズ(1)「不安いっぱいな大きな仕事」


1989年のちょうど今頃でした。20代も後半になってやっと仕事に充実感を感じられるようになって来た自分に、とても大きな仕事が舞い込んできました。プロジェクトは「日立製作所」のA&V(オーディオ&ビジュアル)キャンペーンです。出演は、クィンシー・ジョーンズ。泣く子も黙る音楽界の大プロデューサーです。
http://musicfinder.yahoo.co.jp/shop?d=p&cf=12&id=60533
ちなみにわが国の大作曲家である久石譲氏はそのペンネームを久石(クインシー)譲(ジョーンズ)からつけたそうです。
普通は、彼くらいの大物であれば、CMの音楽も当然自分のスタッフでつくるはず。ところが、そのときちょうど自分の集大成のアルバムを制作中で「だれか、日本人の音楽制作プロデューサーを立てて欲しい」という要請があり、僕のところに仕事が来たわけです。それも、クィンシーが過去にプロデュースした、ブラザース・ジョンソンの美しいインストゥルメンタル「TOMORROW」をカヴァーして欲しいということでした。大きな仕事をいただけたうれしさ以上に、本当にこの仕事をやり遂げることができるかという不安でいっぱいになりました。なぜなら、僕が企画してプロデュースした「TOMORROW」をクィンシーに気に入ってもらわなければならないからです。正直な話、当時の僕の実力では、とてもそんなだいそれたことができると思えませんでした。でも、先輩のプロデューサーを差し置いて僕に仕事を出してくださったスタッフの皆さんの期待に対して「よしっ!何とかやってみよう!」と決意を固めました。つづく、、、、
プロデューサー・渡辺秀文

2006/05/13

〜輝ける80年代CMシリーズ〜初めてのオリコン1位


1984年タカラ・缶チューハイのCMがスタートしました。出演は当時「サタデーナイト・フィーバー」の世界的ヒットで大スターになっていたジョン・トラボルタです。ジョンはCMでも映画と同じように当然踊りで決める訳ですが、
その大スターが踊るためのCM音楽を、一介の日本人である私がプロデュースするんですから、まあ大胆不敵というか、何と言うか、凄い話ですよね。そこで色々考えた末に、「サタデーナイト・フィーバー」と同じようなことをしても適わないので、独特なものにしようと思い、80年初頭リンダ・ロンシュタッドのアルバム「MAD LAVE」の殆どの曲を書き、ロス・アンゼルスを拠点にクリトーンズというオルタナティブなグループで活動していた、マーク・ゴールデンバーグに頼むことにしました。マークは丁度3ピースのアワー・タウンという新しいバンドを立ち上げたばかりでした。マークの書いてくれた”Waiting For The Green Light(恋のグリーンライト)”は、トラボルタの“船漕ぎダンス”とでも呼びたくなるような、ちょっと滑稽な踊りにマッチして、CM放送と当時に話題になり、オリコン洋楽・シングル1位になったのでした。私がプロデュースして1位になった最初の曲です。マークはその後、サントリー・ロイヤルのランボー・シリーズ等、日本でもCMで素晴しい仕事をいっぱいしています。
この曲も近いうちにアルバムに収録予定です。吉江一男

2006/05/11

〜輝ける80年代CMシリーズ〜JOHN LIND


ジョン・リンドって知ってますか? きっとこう言えば分かるかな? あのアース・ウィンド&ファイアーの“BOOGIE WONDERLAND”や、マドンナの“CRAZY FOR YOU”の作家です。1985年DJ In My Lifeのヒットの直後に、同じHONDAのバイク・TACTの制作依頼がきました。私は“CRAZY FOR YOU”という曲が大好きだったので、その曲を作った作家と仕事ができたらいいなと思い、ロス・アンゼルスに連絡したら即OKの返事です。レコーディングはサンタモニカのスタジオで行われ、私も良く知っているマーク・ゴールデンバーグをはじめ、ロスの精鋭達が集まって、全部生で録音されました。残念なことにこのシングルはヒットしませんでしたが、私のたっての頼みであった、“CRAZY FOR YOU”がジョン・リンドのセルフ・カバーでカップリング収録されています。貴重なこのバージョンはi-Tunes Music Storeで購入できます。
吉江一男

2006/05/07

〜輝ける80年代CMシリーズ〜DJ IN MY LIFE


85年「Overnight Success」のヒットから間もなく、Hondaの新50ccバイクDJ-1の制作依頼が来ました。ホンダの商品には“ゴリラ”や“モンキー”など面白くユニークなネーミングが付いていて、このDJ-1も、ウオークマンを聴くみたいに気軽にどこででも楽しんでもらいたいということなのでしょう。CMの映像では黒人のDJがおかしなカンフー・ダンスを踊りながら、ノリノリでプレイしていて、そこに商品名のDJを歌い込んだ英語のオリジナル・ソングを乗せることになります。商品名が音楽に関連したものだけに、作られる歌はCMソングとしての役割を当然果たしながらも、それ自体に独立性があり、CMソングの枠を超えてヒットする可能性を持っていることが大事だと考えました。そこで"愛しいDJさま、私の悲しい心を慰めてくれる曲をかけて下さい“と、失恋した女の子の気持ちをセンチメンタルなメロディーに乗せて歌えば、グッと来るんじゃないかと思い、大ヒット曲「OVERNIGHT SUCCESS」のコンビ、ジョーイ・カルボーンとリッチー・ズィトーに頼むことになりました。特にジョーイはイタリア系らしいセンチメンタルなメロディーが得意でした。彼に出したリクエストは、サビの出だしはDJから始まり、♩DJ〜〜♩を繰り返すことでジングルとしての形態になっていて、なおかつヒットの要素を含むものでした。ジングルとは繰り返すという意味で、通常アメリカではCMソングをそう呼びます。商品名を繰り返し歌うわけですから、押し売り的に受け取られることがあるのは否めませんが、今回は作り方次第でそうでなくなる訳です。そこがパズル解きみたいで楽しいんですね。期待通りのデモが2曲上がり、我々はユーロ・ポップ的なマイナーのメロディーを選びました。トラック・メイキングの中心はリッチーで、特に彼のギターが入った途端にサウンドはパワフルになります。そしてマニアックな話になりますが、バック・コーラスはBETH ANDERSENで、あのヒット曲「NEVER ENDING STORY」をリマールとデュエットしているスエーデン出身の美人歌手です。また丁度同じ頃ラジオでは、ダイアナ・ロスにリッチーが書いた「TOUCH BY TOUCH」という曲が頻繁に流れていました。そんな一流ミュージシャン達の力で、新人歌手ANNIEが歌う「DJ IN MY LIFE」が出来上がりました。そして放送が始まりシングル・レコードが発売されて、見事オリコン洋楽1位になり、85年の年間洋楽チャートでも10位になりました。リッチーはそれ以後、エディー・マネーとチープ・トリックをプロデュースし、それぞれビルボード第一位を獲得し、ジョーイも数々の日本人アーティストをプロデュースし成功しています。世界の音楽家達が日本のCMの為に集まり、国境を越えた瞬間です。Music is the most beautiful in our life ! (プロデューサー・吉江一男)
Annie - CM TRACKS~よみがえる黄金時代~洋楽編 2 - DJ In My Life
お聴きになりたい方は i-Tunes Music Storeで購入できます。

2006/05/05

〜輝ける80年代CMシリーズ〜「OVERNIGHT SUCCESS」


1984年にソニー・カセット・テープのCMから誕生したのが、その為に作られたオリジナル曲の「OVERNIGHT SUCCESS」です。OVERNIGHT SUCCESSとは、例えばブロードウェイでは、ミュージカルが初演を迎えた時、翌日の新聞に載る論評次第で成功の是非が決まるという厳しい裁きがあり、もし好評だったらその公演は成功を保証されるので、そんな初演翌日の成功に対して言います。
このCMは仲畑貴志さんが企画し、結城臣雄さんが演出したものですが、映像はブロードウェイのステージで複数の男女が成功を夢見てダンスのリハーサルの真最中です。ブロードウェイ・ミュージカルと言えば「コーラス・ライン」が大ヒットしている頃でしたが、音楽はそれよりポップ・ロックな方向で行こうということになり、映画「フラッシュ・ダンス」のテーマ曲「WHAT A FEELING」(歌:アイリーン・キャラ)を作ったスタッフに頼むことになりました。この曲はユーロ・ディスコの達人であるジョルジオ・モローダーの作曲ですが、サウンド・メイカーはリッチー・ズィトーとアーサー・バーロウです。リッチーはジョルジオ・モローダーを手伝う前にはエルトン・ジョン・バンドにいました。そのリッチーと同じニューヨーク・ブルックリン生まれで幼なじみのジョーイ・カルボーンが、リッチーと二人で作家&プロデューサー・チームを組んでいたので、彼達に白羽の矢が立ったという訳です。発注から10日程で2曲のデモ・テープが出来上がり、それを1曲に絞り、ロス・アンゼルスでいよいよ本番の録音です。オケはあっという間に最高のものができたのですが、歌手選びが大変でした。歌手のオーディションには2日用意してあったのですが、キャラクターとクオリティーに満足のいく者が見つからず、あと1日延ばす事にしました。そこで最後に現れたのが、神様,仏様、テリー・デサリオだったのです。一発でOKでした! 彼女は81年に、KC & サンシャイン・バンドのハリー・ケイシーとのデュエットでビルボード1位を獲得していたのでした。流石! その出来立てホヤホヤの音を持って、撮影が行われるニューヨークに飛びました。私、、じゃなくて、音を待っていたスタッフは、プレーバックするなり大満足の表情で喜んでくれたのでした。撮影も順調に終わり、後はオン・エアーを待つのみです。果たしてOVERNIGHT SUCCESSになるか???
これがなっちゃったのでした! オン・エアーと同時に問い合わせが殺到です。オリコン洋楽1位は勿論ですが、総合でもトップ10入りです。年間でも1位「WE ARE THE WORLD」、2位「NEVER ENDING STORY」に次いで3位になってしまいました。OVERNIGHT SUCCESS、いい言葉ですね!  (プロデューサー・吉江一男)
TERI DESARIO - CM TRACKS~よみがえる黄金時代~洋楽編 2 - Overnight Success
i-Tunes Music Storeで購入できます。