
〜ザルツブルグ音楽祭でベルリン・フィルを聴いて〜
今日は久し振りの投稿です。
私は8/19〜30までの間にヴェローナ野外劇場、メラーノ音楽祭、そしてザルツブルグ音楽祭とクラシック三昧の日々を送って来ました。今年はモーツアルト生誕250周年にあたるので、ザルツブルグが主の目的であったのは言うまでもありません。7月23日からスタートして8/30までの間、日に依っては朝11時、午後3時、夜と3公演があり、毎日モーツアルトが演奏されています。私も駆け足でレクイエム、イドメネオ、ドン・ジョバンニ、シンフォニ−#39#40#41等を聴いてモーツアルトを十分に堪能したわけですが、8/29と30日の2公演だけの為に来ていたラトル&ベルリン・フィルの29日公演に行ってびっくり仰天です。それはドビッシーのDrei Preludesを除いて、全曲21世紀に作られた現代音楽のプログラムで、世界中のいい感じのモーツアルト・ファンが集っているこの場で大胆不敵というかお見事です。曲目は相当なマニュアでも知らないのは当たり前で、せいぜい作曲家名は知っていても聴いた事のない曲ばかりでしょう、少なくても日本では。そんな新曲を70才になろう紳士淑女が眼を輝かせて楽しんでいるではありませんか。16型4管編成の大オーケストラの演奏が始まると、それは正にへんてこりんな現代音楽なのですが、私が今までに聴いた数少ない現代音楽コンサートの中で最も美しく、こんなに感動したことはありませんでした。変則極まりない拍子、奏法に拘らず全員がピッタリ合ちゃっていて魔法のようでした。最後にドビッシーを持って来るところはラトルの真骨頂で、100年前に書かれた曲のなんとみずみずしいこと。全てが現代に繋がっていることを分からせてくれました。こんなコンサートが実現できるのは、演奏家の音楽への真摯な態度、プロとしての確か過ぎる技術は勿論ですが、やはりラトルが偉くなっていないことと、新しい才能を発掘し文化の継承を大事に考えているからでしょう。ベルリン・フィルの芸術監督の地位なんて簡単なことではないので、偉くなっちゃっても仕方ないのに。私なんかそこにたまたまいただけで偉くなっちゃいますから。最後にプログラムを書いておきます。吉江一男
Kaija Saariaho[*1952] Asteroid 4179:Toutatis (2005) for Orchestra
Brett Dean[*1961] Neues Werk (2006)
Matthias Pintscher[*1971] Towards Osiris (2006) Orchesterskizzen
Mark-Anthony Turnage[*1960] Ceres(2006)
Henri Dutilleux[*1916] Correspondances(2003) for Soprano & Orchestra
Hanspeter Kyburz[*1960] Noesis(2001/03)
Claude Debussy[1862-1918] Drei Preludes in der Orchesterfassung von Colin Matthews